基本データ
- ハンドルネーム:こっき
- 生年:1976年
- 血液型:B型
- 職業:会社員(IT企業人事部で人材開発・組織開発を担当)、個人事業主(企業の組織活性コンサルティング)
- ミッション:人生の楽しさ・世界の素晴らしさを知り、人と共有し続けること
- ビジョン:組織活性のプロフェッショナル
- 夢:人生の100のリスト
興味・関心
- ブログ「自分ハック。」
- 自己啓発/自己分析
- 自己啓発書(7つの習慣、アルケミスト、ずっとやりたかったことを、やりなさい。、嫌われる勇気)
- 人材開発・組織開発・組織活性
- ライフハック(仕事の効率化、断捨離)
- 絵を描くこと
- 歌を歌うこと(カラオケ、バンド活動)
- 車の運転をすること
- お気に入りの名言集
好きな食べもの・飲み物
好きな音楽
- さだまさし
- スピッツ
- X JAPAN
好きな映画
- 「マトリックス」シリーズ
- 「スター・ウォーズ」シリーズ
- 「マルホランド・ドライブ」
好きな作家・本
- 村上春樹「羊をめぐる冒険」「ダンス・ダンス・ダンス」
これまでの人生
誕生~幼少時代
- 1976年1月、千葉県の小さな町で喫茶店を営む両親の長男として生まれる。コーヒーと煙草の香りに囲まれて育つ
- シャイでマイペースで歴史好きな父と、明るく社交的で教育熱心だけど口は悪い母の良いところも悪いところも受け継ぐ
- ファンキーすぎる姉と、クールすぎる弟の間にはさまれて、自立心旺盛・世渡り上手の、典型的な「真ん中っ子」として育つ
- とにかく静かで存在感がなかったとのことで、家に一人取り残されたままバルサンをガンガン焚かれたり、海で波が来たときに気づくと沖の方にプカプカ浮いてたりしたとのこと。よく死なずにこの時期を生き延びたな、と思う
- 地元の保育園に入園、母の自転車に乗せてもらい通う、行くときに行くのを嫌がって、帰るときに帰るのを嫌がる面倒くさい子どもだった
小学時代
- 1982年4月、地元の市立小学校に入学
- ボンヤリするのが好きな小学生でほぼ毎日忘れものをして怒られていた
- バイオリンを習って3日でやめる
- ピアノを習って1年でやめる
- 空手の道場に通う(4年続く)、ひ弱な子が普通の子くらいまでには強くなる
- 絵が好きになる、自作の漫画を描いて友達や親戚の子にプレゼントしていた
- 1988年3月、無事卒業
中学時代
- 1988年4月、地元の市立中学校に入学
- 学校は家から徒歩5分の場所だったので、朝パンをかじりながら食べ終わるまでに着くような感じだった、あと友達がよく帰り道に寄ってゲームしたりお菓子食べたりした
- 勉強がそこそこできる中学生、クラスの上位5番以内の常連に
- 真面目な子とも悪そうな子とも仲良くできる協調性のあるタイプ
- 剣道部に所属、いちおう初段は取るも、実力が足らず、部のレギュラーにはなれず
- 地元のアトリエに通い、油絵を習うも、納得する作品は仕上げられず
- さだまさしにはまる。受験の時期はテストの朝に必ず「親父の一番長い日」を聴くという妙な願掛けを思いつく
- 一応、進学校といえるラインの県立高校に合格
- 1991年3月、無事卒業
高校時代
- 1991年4月、県立高校入学
- 思春期ならではの軽い対人恐怖症、重い女性恐怖症をわずらい、休み時間に一人で本を読む暗めな高校生になる
- 彼女なんて夢のまた夢、友だちの数も少なめな「暗黒時代」の到来
- 成績も急速に悪化し、クラスの下位5人以内の常連に・・
- ハンドボール部に入部、人気もなさそうだし、ここならあっさりレギュラーになれるかも、という邪念で入部するも、まさかの「当たり年」で新入部員は過去最大、またもレギュラーにはなれず2年の夏に退部
- 気を取り直して、美術部に入部。ものすごい絵が上手い同級生が「俺程度じゃ美大は無理だよ」とうそぶくのを見て、「それなら俺はもっと無理だ」と絵描きの道をあっさりあきらめる
- 文化祭実行委員をやって、文化祭の運営や入場門の装飾なんかを担当
- 偏差値が全然足りていなかった明治大学になぜか合格
- 1994年3月、無事卒業
大学時代
- 1994年4月、暗めな性格のまま明治大学に入学
- 「このままでは未来はない」という危機感から、シャレオツ系サークルに紛れ込んでみるも馴染めず、静かにフェードアウト
- 「部室がある」というだけで籍を置いていたサークルの方に身を寄せる。夏休みの集団バイトだけが特長の「飲むだけサークル」だったが、魅力的な先輩、友人にたくさん出会えて、ようやく青春らしきものが始まる
- 「彼女をつくる」ことを目的にクッキー屋さんでバイトを始め、目論見通り、人生初の彼女ができる(その後、初めての恋愛でよく起こるあれやこれやの果てにお別れする)
- 自動車教習所をまさかの「中途退学」して、ウン十万円を無駄にする、その後、合宿免許でなんとか取得するも、自分が少しパーツが足りない人間であることを思い知る
- 村上春樹にハマる、喋り方が主人公の「僕」そっくりになる(と姉に言われる)
- 人並みに就職活動をするも落とされまくる、「しょうがないから喫茶店でも継ごうかな」と言ったら親父に怒られる
- 就活シーズンが終わるころ、「わはは、そうだよな、俺みたいな何の売りもない学生どこも取らんわな」と思っていた矢先、なぜか食品メーカーから内定が出る
- 1998年3月、明治大学を卒業
食品メーカー時代(大阪編)
- 1998年4月、食品メーカーに入社
- 同期は100人、入社研修終了後、大阪支店配属の辞令を受ける
- 百貨店へのギフト商品営業を担当する部署に配属される、中元・歳暮時期が忙しく、あとはヒマなため、社内で「季節労働者」と揶揄される
- 同じ部署の遊びの天才みたいな先輩2人に連れまわされて、平日週末関係なく遊びまくった。車、MTB(ダウンヒル)、ショートスキー、スノーボード、合コン、クラブ、ここでは書けないあれやこれやと、一気に遊びの幅を広げた
- 同じ大阪配属の同期や、独身寮の仲間と、遊びや旅行に出かける、無邪気で幸せな時期を過ごす
- 2001年9月、アメリカ同時多発テロ。酔っぱらって帰宅したら「おい、大変なことになったぞ」と同期に呼び止められ、皆でロビーのTVで、黒煙を巻き上げる世界貿易センタービルを茫然と眺める。「明日、会社あるかな…」と誰かが言い、「いや、あるだろ…」と別の誰かが返したのを憶えている
- 2002年6月、日韓ワールドカップで日本中が盛り上がる中、四国支店への異動が命じられる
食品メーカー時代(四国編)
- 2002年7月、四国支店に着任
- 香川県の中堅食品スーパーを担当し主力の一般商品(ギフトじゃない)を初めて本格的に売る
- ランチはまず「うどんorうどん以外」を選ぶ日々、一生分以上のうどんを食べる
- 四国八十八箇所のうち17箇所くらいを回る
- 2004年7月、高知県担当になり、四国最大の食品卸会社を担当
- 遊ぶ場所も、遊ぶ仲間も少なくなり、自然と仕事に向かう量が増えていき、「このままでいいのか」と悩み始める
- 仕事の合間に四万十川に飛び込んで泳ぐ
- ラスベガスに2回行く
- よさこい祭りで2年連続おどる
- これでもかってくらい映画、本、音楽を堪能する
- 2005年春、mixi開始
- 2005年夏、姉からもらった「アルケミスト」を読み、退職を決意する
- 2005~2006年の年末年始に転職活動、ライブドア事件真っ盛りの時期に、IT企業から内定を受ける
IT企業時代(ビジネス開発編)
- 2006年3月、現在の会社に入社。憧れの東京のビジネスマンになる
- eコマース営業として入社、3ヶ月後にビジネス開発部門に異動。担当領域は飲食店、医療健康、学習、地域情報など各分野に広がる
- 「7つの習慣」を読む、座右の書にする
- 地域広告プロジェクトに参画、ビジネス特許を取得
- 農業プロジェクトに参画、リリースしたサービスで日本経済新聞に載る
- 2008年、美人の奥さんと結婚
- 2010年、地域系大型プロジェクトに参画、営業チャネル全般の設計・運営を担当
- 2011年に第一子(女の子)誕生、奥さんの方に似て美人
- 2012年5月「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」を読み、モーニングページ、アーティストデートを開始、自己啓発がワークを中心とした主体的な活動に変わる
- 2012年6月、2年間関わった大型プロジェクトが失敗、自ら広げた営業網の縮小・撤退を担当し、自分の仕事がなくなったところで、かねてから念願だった企画職に転向を申し出る
IT企業時代(企画編)
- 2012年7月 念願だった企画職に転向、プロジェクトマネージャーに就任
- 2012年11月 モーニングページをやっている僕をみた同僚に「そんなに書くことがあるならブログでも始めればいいのに」と言われ、その一言がきっかけでブログを開始、FC2ブログ、Livedoor Blog等を試すも、本格化できず終了
- 2013年2月 プロジェクトマネージャーとして新サービスをリリース
- 2013年7月 上司が替わり、プロジェクトマネージャーを更迭されて、泥臭い仕事が増える
- 2013年9月1日 当ブログ「自分ハック。」を開始
- 2014年3月21日 ブログをリアルなネットワークにも公開
- 2014年4月 泥臭い仕事が認められてプロジェクトマネージャーに再度就任
- 2014年10月 初めてラインマネージャーに就任、マネジメントの難しさを身をもって体感する日々が始まる
- 2015年6月 第二子(男の子)誕生、奥さんに似てイケメン(だと思っていたら、その後、僕に似て愚か者であることが判明)
- 2016年2月 40歳になり、上司から「命がけで働いているとは思えない」と運命のフィードバックをもらったことをきっかけに人生後半戦のテーマを「人材開発・組織開発」に決定、異動を願い出る
IT企業時代(人事編~現在)
- 2016年4月 「組織活性(組織開発)」の専門チームに異動、ラインマネージャーを外れプレイヤーとして再出発、全社の組織活性と個別部門の組織課題解決の両面を担当、303件の組織課題データ・100件の解決事例・5件の成功事例インタビュー記事をまとめ、「組織活性の可視化」を推進
- 2017年4月 「人材開発(人材育成)」の専門チームに異動、全社の教育施策(研修プログラムや各種アセスメント)を担当し、のべ1000名以上の管理職と300名を超える社員のキャリア自律支援を行う
- 2018年4月 「人材開発(人材育成)」の専門チームのラインマネージャーに就任、自らのマネジメントを日々試行錯誤しながら、経営戦略に合わせた制度企画・人材開発施策の推進を行う
- 2019年2月 個人事業主として開業、「組織活性ファシリテーター」として企業の人材開発・組織開発のコンサルティングを開始する
- 2019年8月 国家資格キャリア・コンサルタントを取得!(・・に向けて現在、猛勉強中、書いたことは実現するので未来日付でここに書いておきます。笑)
これまでの人生からの気づき:
どんな人生にも大小さまざまな「成功」と「失敗」があって、そこから次の「ヒント」が得られ、やがて「転機」が訪れる。そして何が起こっても、正しく自分に働きかける限り、必ず「なりたい自分」に近づいていける。
※この活動に「自分ハック。」と名付けて、日々取り組んでいます。
僕のミッション:
- 人生を通じて、「自分ハック。」を実践していきます。
- そこで得られた「人生を素晴らしくするアイデア」をこのブログで紹介していきます。
- (そして、できれば皆さんの考えもお伺いして、一緒に対話をしていきたいです)
それでは、また。