ヘタでもいいから絵を描くべきたった1つの理由

創造性を解放する方法
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絵を描くのが好きだ

絵を描くのが好きで、将来は絵描きになりたいと思っていた。わりと本気で。

子どもの頃には、アニメや漫画の絵を真似て描いては友だちに「上手いね」と言われて喜んでいた。

通知表の図画工作もほとんど「5」だった。(5段階で、ですよ!)

中学校のときに地元の油絵教室に通い、高校でも少しの間美術部に在籍したりした。

ただ、いわゆる才能はなかった。

大人になるごとに自分には絵の才覚がないことを思い知らされた。

描きたい絵が思うように描けない。人に見せられるレベルじゃない。そもそも描くのが恥ずかしい。

そうやって、僕の中から絵を描くという所作が遠い存在になっていって、いつしか描くのをやめてしまっていた。

18歳頃のことだ。

それから年月が経って、もう一度絵を描こうと思ったのはつい最近のこと。

36歳の春。一冊の本に出会ったことがきっかけだ。

ずっとやりたかったことを、やりなさい。

今でも座右の書にしている本で、テーマは「創造性の回復」。

人は皆生まれながらにしてアーティスト、人生は自らの創造性を発揮するためのステージ。

誰にでも創造性はあって、ただ自らそれを発揮することを抑え込んでしまっているだけ。

だから怖れずに恥ずかしがらずに解放しよう。自分の創造性を。

というような内容だ。

この本のすごいところは読んで終わりじゃないところ。むしろ始まり。

本自体が自己啓発ワークの教科書のようになっていて、12週間にわたって課題をやり続けることで自分の創造性を回復できる、という仕掛けになっている。

基本となる2つのワーク、「モーニングページ」と「アーティストデート」は本当に効果絶大で、僕は大げさではなくこの本と2つのワークのおかげで人生が変わったと思っている。

自分の創造性にブレーキをかけることがなくなり、絵も自然体で描けるようになったのだ。

実際、絵なんてものは描き続けていれば誰でも美大生くらいまでの腕前にはなれるという。

ただ、描き続けるのが難しい。ブログと一緒ですね。

この本を読んだきっかけで、僕はブログを始め、絵も再開し、自分が描いた絵をブログ記事としてアップしたりし始めた。

さらに、絵とも言えないものまで「アート」と称してアップする暴挙にも出てみた。

さらにさらに、娘や奥さんやお医者さんなど他の人が描いたものまで勝手にアップし始めた。

あんなに遠のいていた「アート」というものを、手繰り寄せるようにしてもう一度自分のものにし始めることができてきた。

いま39歳。21年かかって、僕は「絵を描くのが好き」と素直に言える自分を取り戻すことができたわけだ。

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ヘタでも何でもいいから、絵を描くべき理由

僕は人は誰もが絵を描くべきだと思っています。

理由は、絵は文字と同じように原始的なコミュニケーション手段の1つであり(ラスコーの壁画の時代からありますからね)、歌や踊りと同じように普遍的なアートの1つであり(どれも世界中どこにいってもありますよね)、絵を描くことで人生は飛躍的に豊かになるからです。

例えば仕事の場面で。

僕はインターネットサービスの企画を仕事にしていることもあって、自分の考えているアイデアを人に説明するシーンが多いのですが、その際、文字ではなく絵にして説明することでより正確に速く伝えられることがよくあります。

逆を言えば、うまく人に伝えられないだけで、そのアイデアは死にます。

考えを形にするまでに全部一人でできる人はいいですが、僕のように他の人の力を借りなくては何もできない人間は絵にして説明できなければ、そのアイデアの面白さに巻き込むことができなくなるからです。

また、日常生活においても、絵を描けることで楽しみは広がります。

ヒマさえあれば手持ちのノートにスケッチをすることで、クリエイティブな時間を楽しめます。

また実際に描かなくても、道行く人の姿かたちや、風景の美しさを、自分なりに解釈することが上手になっていきます。

絵は絵です。

上手かろうが下手だろうが、絵を描く行為自体が素晴らしいのです。

カラオケに行って歌ったり、普段から鼻歌を歌ったり歌を口ずさんだりするように、自然に絵を描くことが人生を豊かにしてくれます。

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絵を描くことでアクセスできる「向こう側」

絵の効能はそれだけじゃありません。

絵を描くとき、僕はいつも「向こう側」に行ける感覚があります。

このリアルな世界じゃない、もうひとつの方へアクセスできる気がするのです。

一体何を言ってるんだと思われるかも知れませんが、本当にそう表現するしかない感覚があります。

皆さん「イデア」をご存知でしょうか。

古代ギリシャの哲学者プラトンが唱えた「イデア論」の中で説明される概念で、「純粋な形」「完璧な美」みたいな意味で語られています。

詳しくはわかりやすい説明をしてくれているサイトがあったので、引用させてもらいます。

「線」って見たことありますか?

あると答えた人…… 「ほぉ~、そうかいそうかい、  じゃあ、今すぐオレに『線』をみせてみろ!」と 問い詰めさせてもらいます。

線なんて、すぐ見せられるよ」と言って、 紙に、鉛筆で、線を描いた人…… 「もっとじっくり見てみろ!幅があんだろ! 幅があったら、線じゃねえじゃん!」 と、あなたの頭をつかんで紙に押し付けさせてもらいます。

そうなんです。「線」って見たこと無いんです。 ていうか、見れない。 視覚的には、幅がないと見れないけど、 そもそも幅があったら線じゃない。

同様に、「点」も「面」も見れない。 「三角形」も「四角形」も見れない。 世の中には、見えないものがたくさんあるんです。

‐「イデア論 – 哲学的な何か、あと科学とか

そんな風に見られないけれど、その存在は知っている完全な「線」や「三角形」。

それが「イデア」です。

例えば、道行く女性がすごいかわいくてふり返っちゃったとします。その時、僕らはその女性の顔のかわいらしさの向こう側に「イデア」を見ているのです。

自分の本能が知っている「究極の美」。その片鱗を現実世界の女性の顔に見出して振り返るのです。

絵を描くとき。

僕は僕じゃない僕になります。

そんな普段は意識していない「完璧な美」の方にほんの少しだけ近づいている時間。

それが絵を描いている時間なのです。

 

ふう、いったい僕は夜中に何を書いているんだろう。と、ようやくこっち側に戻ってきました。

ブログもまた、向こう側に行く手段なのかもしれません。

 

それでは、また。

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