自分の中の変態性は誰も面倒を見てくれない

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上司との1on1(面談)で、僕がどういう人材になりたいのか、という問いかけに対して、「はい、私は自分のユニークな創造性で、全く新しいサービスを生み出す企画マンになりたいんです」と鼻息荒く答えたところ、

「ああ、変態ですか」

と言われました。「え・・」としばし絶句したのち、「あのー変態、と言いますと・・」と質問をすると、

「ようするにスティーブ・ジョブズになりたいってことですよね?」
「あ、はい・・言ってみればまあ、そうかも・・」
「だから変態ってことですよね」
「あ、ええ、まあ・・」

というやり取りになり、最後には

「会社は社員の”変態性”についてはフォローアップできないんですよ」

と大真面目に本当に申し訳なさそうに言われました。会社で上司と変態についてこんなに真面目に話をした人を僕は他に知らない。

自分の中の変態性について。

発想が広がっている時の自分は、少しイッちゃってると思う。今は冷静に文章を書いているけれど、イッちゃってる状態で書いている文章はもっと支離滅裂で、情動的で、振れ幅が大きく、とんでもなく自由で、あまり大っぴらには言いづらい単語がたくさん含まれていて、それでいて本質的で、いやったらしくて不愉快になる人と、ものすごく共感してくれる人がわかれるにせよ、とにかく読んだ人が無視しづらい奇妙な力をもっている内容ができあがる。

変態性、は誰もが持っているものだけれど、それを上手に開放してできている人は少ない。世の中のほとんどの人はほとんど全くと言っていいほど解放していないか(それは普通であるということですが)、もしくはとんでもなく下手に開放しているか(変質者、犯罪者のことですが)のどちらかだと思う。

本当に上手に開放しているのは、いわゆる芸術家(岡本太郎、草間弥生)、神がかり的な手腕を持つ経営者(スティーブ・ジョブズなど)、超一流の芸能人(タモリ)などである。彼らは自分の中の変態性の開放の仕方をよく心得ているように感じる。

僕は凡人だから彼らほど変態性のパワーの絶対量が足りないと思っているので、まったく同じことはまったくもってできる気がしないが、少なくとも変態性の開放のコントロールだけは真似してみたいものである。

極限まで開放してつつがなく作品に投入する。(作品?僕にとっての作品は何か?絵じゃないだろうし、人生そのものかな。それは逃げかな。)それでいて自らを冷徹に客観視もしていて、いかに自分がスタンダードから外れたことを思考しているかも合わせて認識し、その作品を上手にプロモートできるか、も問われるところだと思う。

そんな人にいつかなりたい。(会社はフォローアップしてくれないから自力でw)

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