ダイバーシティの海で「下り坂46」になる

自分を変える方法
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今年も残すところあと数日。年の瀬だ。

忘年会も落ち着いてきて、クリスマスも終わり、この時分になると気持ちは早くも来年に向かっていく。

 

来年はどんな年にしようか。いい年になるといいが。

そう思いながらも、正直、心は晴れない。なぜか。それは、また1つ歳を取るからである。

 

僕はいま41歳。つまり来年は42歳になる。

 

42歳。なかなか重厚感のある響きだ。重ねてきた相応の年月を思わせる堂々たる風格の中に、そこはかとない哀愁も漂う年齢。そう平たくいえば、おじさんなのである。

 

もちろん、自分がおじさんであることはとうに自覚している。

そこに無理に抗おうとも思わない。ただ、わかってほしいのは、誰もおじさんになりたくてなるわけではないということだ。

 

「いやいや! 違うんですよ! ほんのちょっと道に迷って入り込んじゃっただけで、僕はこっちに来たかったわけじゃないんですよ。えー、もう戻れないの? そんなぁ。じゃあ……諦めるか……」

 

これが、おじさんがおじさんになる時の包み隠さぬ本心だろう。

 

目指していなくても気づけば迷い込んでしまう。それがおじさんの森。

目指していなくても気づけば登ってしまっている。それがおじ山(さん)。

親父ギャグもサマになってきた。

 

来年のことを考えていても加齢臭が漂う話ばかりなので、ここで今年のことを振り返りたいと思う。

 

僕の今年一番のトピックスは「欅坂46」というアイドルグループを知ったことだった。

あれは4月頃だっただろうか。同僚の女性におすすめされてYou Tubeでデビューシングル「サイレントマジョリティー」を聴いたのがきっかけで知るようになった。

 

ちなみにこの曲の発売日は2016年の4月。そう、ちょうど1年前だ。

周回遅れでアイドルにハマるところあたりが、また何とも言えずおじさんであるし、そもそもアイドルにハマるおじさん自体、どうかとも思う。

 

まあ、とにかく彼女たちのパフォーマンスは本当に素晴らしい。

曲のレベルが高いこと、ダンスのキレが素晴らしいこと、そしてアイドルなのにあまり笑わないことなども話題になったが、僕が一番感心したのは、歌詞に込められた、その戦闘的な姿勢だった。

大人に支配された世界に飲まれることなく、NOと声を上げろ、という内容で、初めて聴いた瞬間から「かっこいい」と思った。

グループの絶対的センター、平手友梨奈が清清しいまでの若さを主張して、自分たちが本来持つ自由な権利を高らかに宣言するその姿に、強く心ひかれた。

 

ただ不思議だった。なぜそんなにスッと共感できるのか。

なぜなら僕は、まさにこの歌詞における仮想敵である「大人」そのものだからだ。なのに、なぜそんな歌詞に共感を覚えるのだろう。

 

もちろんこの歌詞を書いているのが秋元康というおじさんだから、という理由はあるだろう。でも、それだけでは説明が出来ない。

 

その答えは、今年二番目のトピックス、「ダイバーシティ」との出会いにあった。

 

ダイバーシティ」は僕の仕事の1つである組織活性に関連するテーマで、これからの時代は1人1人の多様性(ダイバーシティ)を活かし合って、力を合わせて価値創造をしていく必要がある、というものだ。

 

過去には「女性活躍」の文脈が強かったが、近年は「LGBT(性的マイノリティ)」「外国人」「障がい者」といった社会的少数者の活躍や、「育児や介護など家庭に事情がある人」や「副業を持つ人」など多様な働き方の促進などもここに含まれる。

 

僕の勤める会社もこのテーマを推進ており、この夏は全社を上げて「ダイバーシティウィーク」と銘打ったイベントも実施された。その時に講演をしてくれた女装パフォーマーのブルボンヌさんの言葉が今も胸に残っている。

 

「ダイバーシティを本当に理解しようと思ったらダイバーシティの海に飛び込むしかない。生物学的な男女で人の資質や生き方を二分することに意味はあるのか。1人1人の中に男性性、女性性は存在する。そう考えた方が人間の伸び伸びとした個性を花開かせることができるし、その時に始めてLGBTは誰にとっても自分事になる」

 

40代はもともと、若さと老い、男らしさと女らしさ、などそれまでの人生で対立要素であったものが、自分の中で統合されていく年代だと言われている。

 

だからこそ、この「自分の中の多様性」という話と、「欅坂46」の戦闘的な歌詞への共感みたいなことが、僕の中で非常に重要な出来事になったのだと思った。

 

人生を山に例えることがよくある。

人生の前半戦は元気よく登っていく登山に例えられ、人生の中間地点である山頂を過ぎたあとは、今度はゆっくり下っていくという。欅坂ならぬ下り坂だ。

 

でもその下り坂を、僕は自分の多様性を味わい尽くす時間にしようと思う。

おじさんになったことの強みは経験が増えることではない。今の時代、過去の経験の価値なんてたかが知れている。でも多くの経験の中で築き上げた「自分の中の多様性」は強力な武器になると思う。

 

男性的な自分と、女性的な自分。

若々しい自分と、年老いた自分。

勇敢な自分と、臆病な自分。

清廉潔白な自分と、卑怯な自分。

創造的な自分と、ふさぎこんだ自分。

人目を気にせず思いっきりやれる自分と、人目しか気にしていない自分。

世界中が味方に思える自分と、世界中が敵だらけに思える自分。

 

ここでは14種類しか書き出せなかったけれど、できれば46種類くらいの自分を洗い出して一人で「下り坂46」を結成したいと思う。

 

そして、どんなに素敵な自分も、どんなに情けない自分も、そのどちらでもない自分も、すべての自分から逃げることなく、どの自分も排除することなく、その多様性の中で揺れ動きながら、新しい自分らしさを追及し続けたい。

 

そんな人生後半戦にしていきたいし、2018年はその記念すべきスタートの年にしたいと思う。

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