この前、会社帰りにこんなツイートをした。
学び続ける。いつでもどこでもどんなことからも。それが21世紀を生きる答えだと思う。
— こっき @組織活性する会社員 (@jibunhack) March 30, 2017
少しお酒が入ったうえでの意識高い系のつぶやきで少し恥ずかしいけれど、現実問題としてここ最近よく考えているテーマだ。
自分がいる人材開発・組織開発の世界において、また所属部門である人事の領域において、勉強することは基本動作になっているところがある。
本やセミナーなどでアカデミックな知識を体系的に得る必要があることもさることながら、日々の仕事の中で経験学習サイクルを回し続けることも求められる。
同時に自分たちが企画して設計していく社内セミナーや各種プログラムなども、最も重要な提供価値は「学び」であり、参加者によりよい「学び」を提供し続けるためには提供するコンテンツも提供者である自分たち自身も常にアップデートが求められる。
サッカーの元フランス代表監督のこんな言葉があると、会社の上司に教わった。
学ぶことをやめたら教えることをやめなければならない
(ロジェ・ルメール)
誰かに何かを教える役割を担っている人は、常に学び続けなければいけない。
学校の先生や、僕たちのように研修などに関わっている人間だけではない。
お子さんがいる親御さんもそうだろうし、自分よりも知識・経験が少ない人に教える機会がある人もそう。
おそらくほとんどの人が「誰かに何かを教える人」なのではないだろか。
だからほとんどの人が「学び続ける」必要があるのかもしれない。
学び続けなければならない理由はもっと根本的なところにもある。
少子高齢化、労働人口の減少、マーケットの停滞、終身雇用の崩壊・・。
21世紀の働く環境は過去にないほどシビアになってきていて、この時代をサバイバルするためには「勉強による持続的な成長」は必須条件になってきている。
何歳になろうと、というより歳をとればとるほど、学ぶこと、成長すること、アウトプットのレベルを上げることなどがどんどん必要になってくる。
そんな時代なのではないかと思う。
自分も40歳になってから、初めて人事の領域に飛び込み、初めて人材開発・組織開発というテーマに取り組んでいる。
その結果、異動後の直近1年間は、過去18年間のサラリーマン人生の中で最も勉強している状態だ。
本を読み、セミナーに参加し、業務に活かし、業務の中でふりかえりをして経験学習を回す。学んだことを人に教えることでさらに自らが学ぶ。この繰り返しだ。
でもやればやるほど、勉強は楽しくなってくるし、勉強し続けることの大切さも身を持って感じる。これが今やるべき最良の答えだと思えるようになってくる。
学生時代は「勉強は何かの目的を達成するための手段」だったと思う。
今も勉強は、仕事のアウトプットや、他の人との協業レベルを上げるという目的のための手段という側面もあるが、それ以上に、「生涯学び続けることこそが、人生の目的なのではないか」とも思うようになってきた。
「生涯学習」というと、なんとなく地方自治体の開催するシニア層向けのイベントのイメージが湧いてしまうが、そうではなくて、この言葉通りに「生きている限り学び続ける」ことの大切さを感じる。
そう考えると、年齢に関係なく、勉強は「人生の基本動作」なのかもしれない。
そんなつもりで、年齢を言い訳にすることなく、過去やったことに胡坐をかくことなく、持続的に学び続けていきたいと考えている。
それでは、また。
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