3.11に想像し、祈ること。 ‐ごく一般的な男は”あの日”とどう向き合えばいいのか?‐

正しく生きる方法
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「HILIGHT」より Photo by Soichiro KORIYAMA 郡山総一郎 http://hilightphoto.com/?cat=3

 

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3.11のことが語れない

正直、僕は震災のことを語るのは苦手だ。今日も記事にするかどうか迷った。かといって、3.11に他の記事を書くのも変だし、どうしたものかと思っていた。

理由は、震災を「自分の身に起こったこと」ととらえることができないことから来ていると思う。

僕は「あの日」も今も、埼玉県に住んで、都内に勤めている、ごくごく一般的な関東のサラリーマンだ。そんな僕にとって、あの震災の直接の影響とは、

  • オフィスビルの中で震度5強の地震にあい、業務を中断してビル敷地内の公園に避難したこと
  • 5時間をかけて徒歩で帰宅したこと
  • ネットやテレビで全国の状況を少しずつ把握したこと
  • 翌週の月曜日から通常出勤となったが、妙に現実感がない日々が続いたこと
  • 仕事を早帰りするようになったこと、革靴の回数を減らしシューズで出勤することが増えたこと
  • 原発事故による放射能を恐れて、家の換気扇を閉じたり、通勤時にマスクをしたこと
  • 奥さんが放射能を気にするようになり、水は西日本の水のウォーターサーバーを導入し、米は島根の農家から直接取り寄せることにしたこと
  • 自分の中でテレビが信用できないメディアになり、ネットの信頼性が上がったこと

などだ。あとはACのCMにトラウマになりそうになったり、ときどき起こった買占め騒ぎに少し便乗してしまったり、そんな日々だった。なので、震災が僕の人生に何の影響もなかったか?と言えば、そんなことはないけれど、でも人生が激変したか?と言えばそれは言いすぎな程度の影響だったとも言える。

3.11以外の364日に深く意識することもない。特集番組等で情報を知るだけ。家庭や仕事を理由にボランティアに行ったこともない。正直、震災後の三年間を、被災地に思いをはせること以上に、原発の影響を日々うっすら感じ続けることに使ってきたような男が、いったい今日、何を語ればいいんだろうと思っていた。

 

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ある動画を見て

そんなことを考えながら、21時になって風呂に入った。ジップロックに入れたiPhoneでフェイスブックを見ていて、知人がシェアしてタイムラインに流れていたある動画を見た。

※一部衝撃的な画像が含まれます。

祈りにも悲鳴にも異なる声をあげて、今すべてが止まるようにと願いを心から言った

- YouTube
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静かな音楽、清らかな歌声に乗せて(誰だろう、すごい美しい)、被災した人々の写真を繋ぎ合わせたものだ。

ガレキの前でぼう然とたたずむ若い女性。
抱き合って号泣する親子。
泥の中に突っ伏して亡くなっている男性の遺体。
自宅の階段で亡くなっているご老人の遺体。
花をたむけて祈る親子。
雪に突っ伏して慟哭する初老の男性。
ブルーシートの遺体に泣き崩れる女性。
津波に流された街を高台から見下ろす人々。

とにかく淡々と流れていく。衝撃的な写真も、悲しみの感情も、淡々と繋いでいく。淡々としているからこそ、見ている側は起こったことに素直に思いを馳せられる。そんな映像だ。

この動画を見ていて、ふと思った。

この震災とごくごく一般的な関わりしかない僕のような男にも(つまり誰にでも)、3.11について語るべきことがあるのではないか。今からでもできることってあるんじゃないか。そう思った。

それは、「想像すること」「祈ること」。そして、「できることから1つだけやってみること」

なのかも、と。

 

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想像すること

ビートたけしが震災直後に語った「悲しみの本質と被害の重み」 -Yahoo!ニュース

この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。/人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。/そう考えれば、震災被害の本当の「重み」がわかると思う。2万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいて、その悲しみに今も耐えてるんだから。

動画を見て、ここでビートたけしさんが書いている、2万人が亡くなった大きな事件じゃなくて、1人が亡くなった事件が2万件起こったんだ、という意味がストンと僕の中に落ちた。

大事なのはそれを想像することだと。「大震災」を見るのではなく「1人1人」を見て、その思いを想像することだと。そこに自分を重ね合わせる。自分がこの人だったら、自分の親がこの人だったら。自分の子どもがこの人だったら。そうして頭だけでわかっていたことに、きちんと心を重ね合わせる。

これが、こんな僕にもできる第一歩なんだと思った。

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祈ること

そして、1人1人のことを知って、その気持ちを想像することができたら、祈る。

被災して亡くなった人たちのことを祈る。被災した街で今も頑張る人たちのことを祈る。被災した街を離れて、苦しい避難生活を続けている人たちのことを祈る。ボランティアを続ける人たちのことを祈る。原発事故対応の作業を続ける人たちのことを祈る。

それだけじゃない。もっと多くのことを祈りたいと思った。

震災から学んだことの1つに、こんなことでも起こらない限りおそらく知ることがなかった街に、たくさんの人たちが自分の生活を続けていて、この悲劇に見舞われたということ。逆を言えば、こんな事でもない限り、いまも僕が知らないところで彼らは幸せに暮らしていたんだということ。

そう、震災がなければ、陸前高田市も南三陸町も大船渡市もきっと永遠に知らない街だった可能性が高い。

逆を言えば、今この瞬間にも、名前も知らない無数の街で多くの人たちが生活していることも、何かあるまでは意識できないくらいの想像力しか僕は持ち合わせていないということ。そしてその人たちにとって、僕自身もそういった存在であるということ。

そんな小さな名も知れない人々が、今日もこの星の上で生活し、喜んだり悲しんだりしている。そのこと自体に日々祈りを捧げるべきなのではないかという気持ちが湧いてきた。

だから「今日は」ではなく、「今日以降、思い出せるときはなるべく」という形で、この世界のことを思って祈りたい。小さな生活や小さな命が存在することそのものに祈りを捧げたい。そこに自分や自分の家族が含まれていることの幸せを祈りたい。四六時中というわけにはいかないが、たとえば夜、会社からの帰り道に夜空を見上げながら祈るくらいはきっと出来ると思う。

そこまで祈ることで、初めて震災のことをちゃんと祈っていることになるのではないか。そんな気がした。

 

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できることから1つだけやってみること

自分にできることから1つずつやればいいのなら、何かできそうだ。

ということで、まずこの記事を書いた。

ありふれた内容かも知れないけれど、僕にしては3.11のことを真正面から書けた記念すべき初の発信情報だ。この記事のように、僕がその時感じたことを僕なりに発信することは、いつだってできることに気がついた。これからもやっていこう。

では、次の1つはどうしよう。

これは、もう考え始めていて、いつか近いうちに、被災地を訪問したいと思う。ボランティアという形をとるのか、旅行なのかはまだ決めていないけれど。

何度か行こうかなと想像してみるところまではやってみた。でも、放射能を気にしている奥さんの手前、具体的な計画としては考えたことがなかった。まずは、家族旅行として提案し、彼女が説得できなかったら、一人もしくは会社の同僚とでもいいから、行ってみよう。

これだけのことがあって、現地に行かないのは、いかにも僕らしくなかった。心のどこかでは行きたいと思っていた気がする。大人になると、素直な自分を失いがちだけれど、これもまさにいい例だ。

目標としてはこの1年以内のどこかかな。

 

個人的には初めて1人の人間として震災にちゃんと向き合えた気がする。「震災との関係性がごくごく一般的な」僕でも、なんとか記事を書くことができたのも、「あの日」から3年経ったことが何か影響しているのかな。とにかく、こんな記事でも誰かに何かをお届けできているとしたら、それに勝る幸せはない。

 

それでは、また。

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