(先日お邪魔した大学院の講座でホワイトボードに書いたメモ)
この記事は僕の人生観に大きく影響を与えたあるブログ記事のお話です。
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アメリカ在住の起業家・古賀洋吉さんのブログ「愛の日記」にこんなエントリーがあります。
親友の奥さんが自殺したことについて書かれた記事で、関わりが深かった方だったこともあり、「どうすればよかったのだろか?」と自問する内容になっています。
そして、答えのない問いかけを続ける中で、古賀さんは1つの思いにたどりつきます。
結局、君が生きていたということは、何だったのだろうと思うよ。
でも、シンプルに考えると、君とは、君が生まれた世界と、君が生まれなかった世界の差なのだろうと思うようになった。あたりまえといえば、あたりまえなのだろうけど。
そう考えると、僕にできる唯一のことは、その差を大切にすること。例えば、僕が岐路に立ったとき、「君なら何というか」を心のどこかで影響させつづけることで、君が生きていたことによる「差」を大事にしていこうと思う。
-「愛の日記」より
「自分が生きたことによる差分」。
僕はこの考え方に強く共感しました。ほんとその通りだなと。
そして初めて記事を読んでから今日までに、何度もこの言葉を思い返すことになりました。
自分は「自分が活きたことによる差分」をどれほど生み出せているのだろう、と。
自分の人生なんて大したものではないと思っています。
でもその大したものではない人生の中で、人は必ず「差分」を生み出します。
酸素を吸って、二酸化炭素を吐き出しながら。
動物や野菜や果物を食べながら、排泄物を出しながら。
仕事で新しい挑戦を成功させたり、失敗したり。
恋愛で誰かを幸せにしたり、傷つけたり。
結婚したり、子どもを生んだり。
誰かの記憶に残ったり、誰かのことを記憶に残したり。
人や世界と関わりながら、良い「差分」も悪い「差分」も作りながら生きていきます。
そう考えたときに自然に思うのは「どうせなら良い差分をより多く生み出してから死にたい」という思いです。
古賀さんのブログは僕の人生観に「差分」を作ってくれました。
自分も同じように誰かの人生観に「よい差分」を作っていけたら良いなと思いました。
それでは、また。
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