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お通夜に行って考えた 「メメント・モリ(死を思え)」 の本当の意味

      2017/01/20

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同じ会社の方が亡くなり、今日はそのお通夜に行ってきました。

ご自身もお若かったけれど、お子さんもまだ小さいということで、一報を聞いてさぞかし無念だろうと思いました。

斎場に向かう電車の中、ふと「メメント・モリ(死を思え)」という言葉を思い出したので、その意味をあらためて考えてみました。

メメント・モリ」とは

メメント・モリ(羅: memento mori)は、ラテン語で自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句。「死を記憶せよ」などと訳される。芸術作品のモチーフとして広く使われ、「自分が死すべきものである」ということを人々に思い起こさせるために使われ、日本語直訳では「死を思え」、意訳では「死生観」と言える。

-wikipediaより

たしかこの単語を初めて知ったのは、ミスチルの「花-memento-mori-」を聴いたときだったと思います。その後は日常の中でふとした瞬間に思い起こすことになりました。

僕は自分が死ぬこと自体はそれほど怖くないタイプです。逆に、いつか必ず死ぬことを強く意識していたいと思っています。おそらくそうすることで、必ず訪れる”その時”に慌てたりせず「来るべきその時がいま来ただけだ」と冷静に受け止められる人間でいたいからだと思います。

「みんな死ぬ」
「誰だっていつかは死ぬんだ」

-村上春樹「羊をめぐる冒険」

死は正の対極としてではなく、その一部として存在している」

‐村上春樹「ノルウェイの森」

死は忘れずに常に思うもの、というのが「メメント・モリ」の意味ならば、僕の持っている感覚はこうした村上春樹の表現に近いです。「死は生物にとって共通のゴール」であり「死は常に生の一部として内包されているもの」というイメージです。

でも、一方で疑念もあります。本当に自分は何があってもそんなに冷静でいられるだろうか、と。また、その必要があるのかと。

よく考えるのですが、なかなか答えが出ません。そして、わからなくてもいいのかなとも思います。とにかく今、僕は生きています。これを読んでいるあなたも生きています。それが重要なことです。

お通夜を終えて家に帰ってきたら、なにやら無性に食欲が湧いてきました。胃袋が生きていることを主張しているみたいに。奥さんが作ってくれていたごはんをかきこみ、味噌汁をズズズと飲みます。うん、うまい。

「生きている限り、精いっぱい生きる」

当たり前のことだけれど、今夜みたいに人の不幸に触れた日はなおのことそう思います。もしかしたら、これこそが「メメント・モリ」という言葉の本当の意味なのかも知れません。

 

それでは、また。

 

 

 - 自己啓発