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DEAN&DELUCAでの隣の人たちの会話
遅めのランチを会社近くのDEAN&DELUCAで食べていた時のこと。
熱いカフェラテをすすり、シナモンロール(昔流行ったやつ、ためしに買ってみたら甘すぎないで美味しかったです)をかじっていると、隣の席の人たちの会話が聞こえてきました。
「だからさ、千手観音を”手がいっぱいある人”と思ってちゃいけないわけよ。ありゃ”手がすごい速さで動いている”と思って見ないと・・」
見れば50~60代の男女グループがコーヒーを飲みながら談笑していました。
どうやら近くの美術館でやっていた美術品の感想を話し合っていて、そのうちの一人の男性が造詣が深く、他の人たちに解説しているようでした。
「へえ、そうなのか」と感心しつつ、僕の耳はすでにダンボ状態です。
千手観音は「静止している動画」
男性は続けます。
「千手観音は1,000本手があるんじゃなくて、すごい速さで手が動いているから1,000本あるように見える、そう考えるといいわけよ。仏像は『静止画』じゃなくて、『静止した動画』なのよ」
そ、そうなのか。1,000本手があるのかと思っていたよ。
- 千手観音 – Yahoo!画像検索の結果
念のため検索して調べてみると、確かにその説を否定するような材料は特に書かれていません。
調べてわかったこと。
- 1,000本の手は多くの人を救済しようとする広い慈悲の心を表している
- 1,000本の手の掌には1,000個の目が付いている(キャー)
- 1,000本の手は42本に省略されるのが一般的である(背中の40本の1本1本が25本を代表しているということにするみたいです。へえ、なかなか合理的ね!でもそれだと1,002本になっちゃうんじゃ・・)
- いろいろ救済してくれるうえに夫婦仲も改善してくれる(なぜ)
ちょっと横道にそれましたが、1,000本の手は「静止画」ではなく「静止した動画」ととらえることは理解しました。
「静止画」ではなく「静止した動画」なもの
もしかして、「静止画」のように見えて実は「静止した動画」って、他にもあるのかもしれないと思いました。
例えば、このとき書いていたメモは、単なる「メモ」ではなく「メモになった思考」です。流れていく考えを紙に落としたものであり、動いていたものを、そのままの形では人に伝えられないので、メモという形で「静止した」わけです。
同様に、「言葉」は話した人にとって「静止した思い」であるかもしれないし、「ウェブサービス」は「世の中の課題解決を、その時最善と思われる形に静止したもの」と言えそうです。
どれもその「切り取られた状態」だけを見てしまうと本質を見失うものばかりです。その向こうにある本質をつかまえにいかないと、きっと答えに触れたことにならなそうです。
そんなことを、DEAN&DELUCAで聞いた千手観音の話からは妄想しました。街中で耳にした人様の会話からでも、自己啓発的な気づきはあるものだとあらためて思った次第です。
それでは、また。
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