ひっそりと、ささやかに、喪に服す
先週の土曜日の朝に会社の同期が亡くなりました。
あれから5日間。彼は東京、僕は四国ということで、葬儀に駆けつけられなかった代わりに、ひっそりと、ささやかにですが、喪に服していました。
- 先週の土日は黒を基調にしたコーディネートで出かけました。
- 月~水は黒いダークスーツで営業をしました。
- メガネを黒い方だけ使用しました。(コンタクトがしんどい時と夜限定)
死は生の対極としてではなく、その一部として存在している
そして冒頭の画像。「ノルウェイの森」を読んだ人なら分かるでしょうか。
「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」
言葉にしてしまうと平凡だが、そのときの僕はそれを言葉としてではなく、ひとつの空気のかたまりとして身のうちに感じたのだ。文鎮の中にも、ビリヤード台の上に並んだ赤と白の四個のボールの中にも死は存在していた。そして我々はそれをまるで細かいちりみたいに肺の中に吸いこみながら生きているのだ。
(中略)
あの十七歳の五月の夜にキズキを捉えた死は、そのとき同時に僕を捉えてもいたからだ。
-村上春樹「ノルウェイの森」より
思えば不思議な偶然でした。
その先週の土曜日に、四国にいる別の同期(無論、元気に生きている)がちょっとした車の接触事故を起こしました。
大事には至らなかったものの、彼が落ち込んでいたもんだから、景気付けに彼と彼の奥さんと3人でビリヤードをしようという話になったのです。これは、その時に何気なく撮った写真。
僕と僕の同期の関係は、「僕」と「キズキ」ほど近しいものではなかったけれど、感じた感覚としては同じものでした。
YUKIの「歓びの種」、浜崎あゆみの「HEAVEN」
不思議な偶然がもうひとつ。
先日、たまたま借りたヒット曲のうち、2曲が亡くなった人を想う内容のものでした。YUKIの「歓びの種」と濱崎あゆみの「HEAVEN」。どちらもたまたまヒットしていて、たまたま僕が手に取ったものです。不思議。
流されてしまう 力尽きてしまう
大きな何かに動かされている-YUKI「歓びの種」より
君が旅立った あの空に
優しく私を照らす星が 光った-浜崎あゆみ「HEAVEN」より
さて、とはいえ亡くなった同期のことを書くのはこれで終わりにします。
死を思うことは大切だけれど、今日も前に進まなければいけない僕たちにとって、思いすぎはよくないから。ほどほどにしないと。
今日もちゃんと街に出掛けます。服でも買っちゃおうかな。
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