【アドラー心理学】「嫌われる勇気」というタイトルにした理由は?

アドラー心理学
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先日「嫌われる勇気」を読みました。

5分でわかる「アドラー心理学」 -「嫌われる勇気」要約と感想

アドラー心理学の大筋が理解できる良書でした。

いったん要約としてまとめてみたものの、タイトルにもある「嫌われる」の意味について、もう少し整理してみようと思います。やや”釣り”タイトル気味なキーワードですが、ここが本書の肝だからです。

課題の切り分け」というキーワード

本書に出てくる重要キーワードに「課題の切り分け」があります。「自分の課題と他者の課題を切り分けて、自分の課題に集中し、他者の課題には踏み込まない」というものです。

自分にできることは「自らが信じる最善の道を選ぶこと」で、その選択について他者がどう評価するのか、どう反応するのかは、それは「他者の課題」であって、自分にはどうすることもできないという意味になります。

たとえば、なかなか勉強をしない子どもがいて、自分がその子の親だった場合、「勉強しなさい」と命じるのは間違いになります。勉強をするかしないか、それによってどんな結果が待っているか、は「子どもの課題」になるため、そこに踏み込むことになるからです。

ではどうするかといえば、「これはあなたの課題だよ」と伝え、きちんと見守り、子どもが勉強しようと思ったときにいつでも援助できる準備をしておく。それが「自分の課題」になるということです。

後半に出てくる「他者を無条件に信頼せよ」という教えにも、この「課題の切り分け」を使うとのことです。普通に考えれば、自分以外のすべての人を無条件に信頼するなんて危ない、裏切られそう、という発想になると思いますが、アドラー心理学ではこれを否定します。

つまり、相手を信頼するという行為は「自分の課題」、その信頼を裏切るかどうかは「相手の課題」、よって自分は「自分の課題」である信頼をすることに集中すればよい、ということになります。

7つの習慣」に出てくる「影響の輪関心の輪」と同じことを言っています。自分にはどうすることもできないこと(他者の評価、天気、天変地異など)のことは思い悩まず、自分がコントロールできる範囲(自分の考え、発言、行動)に集中せよ、という教えです。

僕はこの「課題の切り分け」という考えが本書を読んで一番のヒットでした。「影響の輪関心の輪」よりも具体的な行動として落とし込むイメージがしやすいのが理由です。

「自由」を手に入れるために「嫌われる」

課題を切り分けられないと、他者の課題に踏み込むことになります。その1つが承認欲求です。

他者が自分を認めてくれるかどうかは「他者の課題」で、自分にはどうすることもできませんん。承認欲求とはそこに踏み込み、「認めてほしい」「褒めてほしい」という思いにかられることです。

承認欲求がある限り、人は不自由な生き方をすることになります。「こんなことをしたら嫌われないだろか」「こんなことをしたら怒られるんじゃないだろか」と四六時中考えながら生きることになるからです。

アドラー心理学では、「自由」になるために「承認欲求を否定」し、「課題を切り分け」て、「自分の課題」に集中することを提唱します。「人に嫌われたくない」という思いを断ち切り、自分の立てた方針にしたがって生きること。それこそが本当の「自由」であるということです。

その結果として、誰かに嫌われていること。それは自由に生きられているという証であり、自由に生きるために支払うべき当然のコストです。

もちろんわざわざ嫌われる必要はありません。結果的になるべく多くの人に好かれているというのは好ましい状況だからです。あくまでも「嫌われることを恐れずに」前に進むこと。これが重要です。

嫌われる勇気」以外の表現はなかったのか

冒頭にも書いたように「嫌われる勇気」というタイトルは”釣り”気味だし、アドラー心理学の魅力を充分に伝えきっている表現とも思えません。

普通に考えれば「自立する勇気」「自由に生きる勇気」「本当の自分になる勇気」といった表現の方が適切ですが、おそらくそれでは売れないんでしょうね。

事実、僕も電車の中で「うん?『嫌われる勇気』?なんじゃそりゃ」って思って知りましたし。結果的に良い本が売れて、世に知られることはいいことなので、やっぱりこのタイトルでよかったのかもと思います。

 

それでは、また。

嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え
(岸見一郎、古賀史健)

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