子育てはブーメラン

子どもと育っていく
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「お風呂あがったら、あの子の勉強を見てあげてね」と奥さんに言われた。

「おう」と言いながら、そういえばちゃんと見てあげたことなかったなと少し反省の気持ちが湧いてきた。

6歳の娘はまだ小学校に上がる前だが、通信教育講座で勉強をしている。

毎月テキストが送られてきて、毎日課題をこなしながら、定期的にテストを受けて採点してもらう。

ひらがな・カタカナの書き方や、数字の計算を勉強するものに加えて、迷路やパズルのようなものを解きながら、論理力・推理力を養うドリルのようなものまである。

対象年齢にぴったりな難易度設定であるだけでなく、興味を持って取り組み続けられるように絵やキャラクターを使って楽しく進められるように工夫されている。

また、問題の1つ1つに間違えやすいポイントや、子どもが悩んだ時に親がどうサポートすべきかなど、きめ細かいアドバイスが書かれていたりする。

この分野もだいぶ進化していて、大人がみても「よく考えられているなぁ」と感心することが多い。

今日、娘が取り組んだのは、ひらがなを綺麗に書く練習と、計算をしながら迷路を進むゲームのようなものだった。

ひらがなの方はスムーズにクリアした。

「おに」「うし」「ひよこ」といった字を、「きれいに かく ほうほう」を参考にしながら、マス目に書き込んでいった。所定のページを終えたので、1つ1つに「〇」をして、ページのタイトル部分に大きなハナマルを書いた。

問題はもう1つの計算ゲームの方だった。

娘は「なにすればいいか、わからないんだよね」と問題そのものを理解するところから苦しんでいた。

問題文に目を通すと「こたえが 6になる ところを ゴールまで すすもう」となっていて、ページ全体はあらゆる形のマス目が複雑に組み合わさっていて、その中に「9-4」や「3+5」といった、足し算・引き算の計算式が入っている絵が描いてあった。

マス目は昔流行った「テトリス」のピースのような形、と言えばよいだろうか。

大人がパッと見たら、「なるほど計算式の答えが『6』になる形を繋いでいって、ゴールまでたどり着くゲームということだな」とわかるものだったが、未就学児が理解するのには少し分かりづらい内容だった。

僕はまず「問題をよく読んでごらん」と言って、娘に音読させ、少しずつヒントを出しながら、設問の意味を理解させた。

問題文が理解できた娘はさっそく取り組み始めた。

始めは順調だったが、途中で答えが「10」になるマス目を選んだりしてしまった。

「どうしてこれを選んだの?」と問いかけると、「えーと、なんでだっけ」とわからないようだった。

そこで「問題文をもう一回読んでごらん」と言うと、「あ、間違っちゃった!」といってすぐに正しい経路を選び始めた。

その後は、一度は「これかな」と思っても「やっぱり、いちおう確認しておこう」なんて言いながら、検算を繰り返し、その一度の間違い以外はノーミスで最後までクリアした。

僕は「やったね」と言いながら、ページタイトルの近くの「ごほうびスタンプ」欄に、大きなハナマルを書きながら、娘が正解を導けたこと以上の喜びを感じていた。

なぜなら、彼女がたった6歳にして、途中起こった出来事を学びに変えて、その後の行動を変えて、最後までやり抜いたことが素晴らしいと思ったからだった。

だから、そのことをちゃんと伝えてあげたいと思った。

「パパはいま3つ、君のことすごいなと思ったよ。1つは、間違ったと気づいたらすぐに認めてすぐやり直したこと。2つ目は、そのあと念のため確認を繰り返したこと。3つ目は、最後まで諦めずにやり切ったこと」

娘は「うん」と言いながら、少し誇らしそうにしていた。僕が思ったことは伝わっただろうか。

勉強を見てあげる時間が思いのほか、素敵な時間になったことを感じながら、僕自身も今の出来事を振り返っていた。

そして、考えている間に、娘に言った言葉はそのままブーメランのように自分に返ってきた。

「間違ったと気づいたら、素直に認めて、素早くやり直す」

「大丈夫かなと思っても、念のため確認する」

「諦めずに、最後までやり抜く」

すべて僕たちビジネスパーソンの仕事にも通じる内容だ。

そもそも、自分が6歳の時に出来ていたかどうかも怪しい内容だ。

今だって、偉そうに言っているけれど、きっと出来ていない時もあると思うくらいの内容だと思う。

そんなことを、娘の勉強を見ながら、考え直せる時間。

娘を見ながら、自分を俯瞰することになる時間。

子どもを育てながら、子どもに育てられる。ある意味では、これこそが子育ての最大の醍醐味とも言える。

これからも、自分が知っていることを教えながら、ブーメランのように気づきを得ていきたいし、自分が知らないことを、子どもたちが学んだときには、ぜひ教えを乞いたいと思う。

そんな親でありたいと思う。

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