会社の同じ部署の仲間たちと月1回程度、「右脳を刺激する会」というものをやっている。
右脳。
そう、思考や論理を司る左脳に対して、イメージやクリエイティビティを司ると言われている方の脳のことだ。こいつをイイ感じに揺さぶる、そんなイベントだ。
過去には浅草に落語を聞きに行ったり、月島にあんこう鍋を食べに行ったりした。
落語はいいとして、あんこう鍋のどこが右脳なのか、という向きもあろう。実はその店のあんこう鍋は「あん肝」がありえない量乗っかったビジュアル的に超ヤバいものが出てくるので、その瞬間、右脳が刺激されるがゆえに選定されたのだ。たしか、そうだ。違うかもしれないけど、そういうことにしておこう。
そして今回はというと、銀座に茶道体験をしに行った。
茶室で正座して抹茶を飲む、あの茶道だ。正直、こうして他の人に誘われない限り、絶対思いつかないイベントだ。だからこそ、こういう機会は価値があると言える。
銀座でやっている茶道体験をチームメンバーが予約してくれた。
そして迎えた当日。仲間たちと仕事を早めに切り上げて、銀座の地に降り立った。銀座三越がある交差点から歩いても数分の雑居ビルの5階にその「異世界」はあった。
エレベータを降りてすぐに鉄の扉があった。ごく普通の事務的なドアだ。
だが、中に入ると部屋の8割ほどが「茶室」になっていて、瞬間的に「茶の湯」の世界に放り込まれた状態になった。あれ、事務所的な場所に入ったつもりが、ここはどこの日本庭園だ、と混乱した。
迎えてくれたのは年の頃40代と思しき美しい和服の女性だった。
「お仕事お疲れのところ、ようこそお越しくださいました」という、その姿、佇まいが何とも言えず美しい、ザ・日本の女性という印象だった。外国からのお客さんも一瞬でイチコロになるだろうことは想像に難くない。
茶道体験は、まず茶道の歴史に関するVTRを観るところから始まる。
茶会とは「亭主」というホスト側が「客」を「おもてなし」する行事であること。お茶そのものだけでなく、茶器、茶道具、掛け軸、禅、建築物などを含めた全体が茶道を形成していること。千利休はやっぱりすごい人だということ。これくらいは頭の中に残った。
VTRのあとは「茶臼」で抹茶をひく体験をさせてもらい、茶室に入る前に「つくばい」と呼ばれる石でできた鉢のところで手や口を清める。
これが「つくばい」だ。
お分かりだろうか。
「吾唯足知」と書かれている。4つの漢字それぞれの「口」の部分を真ん中の四角い穴が表している。素晴らしいデザインだと思った。
「われ、ただ足るを知る」と読み、直訳すると「私は自分が満ち足りていることを知っている」くらいの意味になる。「不平不満を言わず、今に満足することで感謝の気持ちが湧いてくる」というような含意があるそうな。
いよいよ茶室に入る。
「にじりぐち」(あの狭い入り口)から中に入ると、和服の女性から「茶室に入ったら、まず掛け軸を見ます。掛け軸は茶会の亭主からお客さまへのメッセージだからです」と言われた。これがその掛け軸だ。
よ……、読めん。
一拍おいて和服女性が解説してくれる。
「これは『紅炉一点雪』(こうろいってんのゆき)と書いてあります。赤く燃えた炉に、一粒の雪が落ちた、という意味ですね。禅の言葉なので、いろいろな意味にとれる言葉です。死を恐れる気持ちが微塵もない、という意味もあります。川中島の戦いで上杉謙信と相まみえた武田信玄がこの言葉を言ったと伝えられています」
なるほど。
その後、お茶菓子が出て、お抹茶を立ててもらって、それを飲んだ。
意外だったのは、足を崩してもいいし、わりと和気あいあいと話していてもいいところだった。ただ、最初のお茶をたて始める瞬間は、全員が固唾を飲んで、女性の手元を見守っていたこともあり、恐ろしいまでの静寂だった。
茶室は薄暗いこともあって、中にいる間の異世界感は半端なかった。
「いま自分は本当に生きているんだろうか」と感覚が怪しくなるときがあった。黄泉の国に少し足を踏み入れたような、そんな感じすらした。
女性は言う。
「茶会で大切にしている精神は『一期一会』です。今日お越しの6名様も、このメンバーでお抹茶を飲むことは、もう二度とないかも知れません。そう思いながら、毎日顔を合わせる人にも最大限の感謝と敬意をもって接することが大事なのです」
「吾唯足知」
「紅炉一点雪」
「一期一会」
どれも深い意味が込められた、素晴らしい言葉たちだ。
感銘を受けるとともに、押し寄せるのは、今の自分がいかにその境地から遠いところにいるか、という思いだった。でもそんな小さな自分に気づかされること自体が心地よい。そんな境地に連れていってくれる時間だった。
茶道は一種の「マインドフルネス」だ。
茶室というリラックスできる場所で、心穏やかに本当の自分に出会うことができる。
一方で、茶道体験はとても怖いイベントだ。
「にじりぐち」から入るなり、自分という存在がどんどん小さなものに感じられてくるからだ。
何かに似ていると思ったら「ガリバートンネル」だった。ドラえもんの道具の1つで、大きい方から入ると、反対側の小さい方から小さくなって出てくるアレだ。
でもその小さくなった自分こそ、今の、本当の自分。
茶室で知ったのは、すべての飾りを解いた自分。尊大になることなく、卑下することもなく、ただただ、逃れようもない、ただの自分になる時間。アドラー心理学でいうところの「自己受容」にも近い感覚。
あ、と思った。
これこそまさに「吾唯足知」という感覚なのだろうか。そして「紅炉一点雪」なのかもしれない。そしてそれゆえ「一期一会」に思いを馳せられる、そんな状態に連れてきてもらっているのかもしれない。
まるでお釈迦様の掌の上でぐるぐる回っているような感覚になった。
茶道。恐るべし。
僕が茶室というガリバートンネルの向こう側で味わったのは、そんな体験だった。
■今回お邪魔させてもらった茶道体験
「茶道体験 東京」で検索すれば出てくる。
少しばかりの労力とお金を惜しまなければ、大抵のことは実現できる。そう言ったのは村上春樹だったか。
落語の時も思ったけれど、検索して数千円出せば、「人生初」の体験は手に入るのだ。うむうむ。
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