「7つの習慣」の第1の習慣「主体的ある」についての記事です。
「主体的である」とは何か
「主体的である」(Be Proactive)とは、「7つの習慣」で紹介される「第1の習慣」のことです。
旧訳版では「主体性を発揮する」としていましたが、新訳では「主体的である」と変更されました。
主体的・主体性とは「自分の意志・判断で行動しようとする態度」のこと(デジタル大辞泉)です。
「7つの習慣」では「自己責任の原則」として紹介され、「問題は自分の外にあると考えるならば、その考えこそが問題である」と説かれます。
「主体的である」ことで得られるもの
「7つの習慣」では、どんな場面であれ、主体的であることで「最後の大いなる自由」(周囲からの刺激に対して、自らの反応を選択する自由)を失わずに済む、と説きます。
その実例として、ユダヤ人心理学者ビクター・フランクルが、ナチスドイツの強制収容所でも自分の知性・精神を研ぎ澄ますことで、心の自由を失うことなく、他者に良い影響を与えた話が紹介されています。
また、主体的であることで、率先力(自主性)を発揮できるだけではなく、最終的には「人生の責任を引き受ける」ことが可能になります。
世の中の事象の全ては「関心の輪(気になるけれど自らが影響を及ぼせないこと)」と「影響の輪(自らが影響を及ぼせること)」の2つの分類ができますが、主体的であることで「影響の輪」に集中することができます。
「主体的である」について僕が思うこと
「7つの習慣」が「主体的である」から始まっているのは、状況を好転させる出発点が常に「人生の責任を引き受けること」にあるということを表していると思います。
「主体的である」ことなくして、他の6つの習慣の実現もあり得ないということだと考えています。
「自責」「他責」という表現がありますが、「自責」はこの「主体的である」態度を意味し、「他責」はその逆で「人や環境のせいにする」態度を意味します。
僕は、世の中のトラブルや犯罪の多くが「他責」の態度から生まれると考えていて、「主体的である」人(自責の人)が増えれば、そうした問題の多くは発生しないのではないかと思っています。
世の中のほとんどの自己啓発書にも「主体的である」と同様の内容が、言葉を替えて書かれています。
それだけ重要なキーワードであると同時に、「主体性を人に教えることはできない」という言葉があるように、人に教える(人から教わる)ことが最も難しいテーマでもあり、まさに自己啓発そのものの出発点、入り口としての価値を持つ言葉だと考えています。
それでは、また。
完訳 7つの習慣 人格主義の回復
(スティーブン・R・コヴィー)
まんがでわかる 7つの習慣
(フランクリン・コヴィー・ジャパン)
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