「神様」は宇宙か、自分の魂か(Tat Tvam Asi)

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自力で見つけよう 神様

‐スピッツ「運命の人」より

自己啓発関連の本を読んでいると「神様」や「神様的ななにか」が登場することがよくあります。

  • 「夢をかなえるゾウ」の関西弁を喋る神様”ガネーシャ”
  • 「神さまとおしゃべり」の”おしゃべりな神さま”

は直接「神様」が登場して、主人公に世界の真理を教える役割を果たしています。

のように、直接登場はしないものの、超自然的な何かがこの世界の原理原則に関与しているような表現がされている場合もあります。

共通しているのは、「神様」「神様的ななにか」といっても特定の宗教に限った存在としてではなく、この世界の真理や原理原則を創造した(もしくはその全てを知っている)存在として説明されている点です。

7つの習慣」にもこんな説明があります。

私の言っている「原則」は難解なものでも、不可思議なものでも、また宗教的なものでもない。この本の中で述べる原則は、ひとつとして限られた宗教や信仰に属するものはない。こうした原則は、すべての宗教、社会哲学、倫理体系の中に見つけることができる。どれも自明であり、私たちの生活の中で実証できるものばかりである。

‐「7つの習慣」より

日本は統計上「無宗教(特定の宗教を信仰しない立場)」を自覚する人の割合が多い国だそうですが、「無宗教」は「無神論(神が存在しないことを積極的に主張する立場)」とは異なるため、神様の存在自体は否定しない人が多いようです。

僕自身、神様・仏様は盆暮れ正月や冠婚葬祭、子どものイベント(七五三など)のときにお世話になるくらいなので、いわゆる「無宗教」の部類に入るんだと思いますが、「神道」の「八百万の神(自然のものすべてに神が宿っている)」という考え方はとても好きだったりします。

ただ、自己啓発書に出てくる「神様」「神様的ななにか」はそれともまた少し違っていて、もっと根源的な創造主みたいなものでありながら、僕らの心の中に普遍的に存在するようなイメージを持っています。

インドの哲学書ウパニシャッドの根本思想「梵我一如」が一番近いでしょうか。

梵我一如(ぼんがいちにょ)とは、梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と我(アートマン:個人を支配する原理)が同一であること、または、これらが同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする思想。

Wikipediaより

「7つの習慣」でも、「原則」(宇宙を支配する原理)に沿った「習慣」(個人を支配する原理)を体得することで、人生は成功すると説いていますが、まさにこれと同じことを言っていると思います。

梵我一如を表す格言に「Tat Tvam Asi(タットヴァマシー)」という言葉があるそうです。

和訳すると「あなたは、それである。」という意味で、「それ」とは「神様」のことです。つまり、「あなたは、神様である。」という意味になります。

自分の魂の探求を続けることで出会える「神様」。自己啓発における神様とはそんな存在なのかも知れません。

 

それでは、また。

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