ソチオリンピックも閉幕し、浅田真央選手、羽生結弦選手など日本選手団を乗せた飛行機が25日午前、帰国しました。
終わってみれば、メダル獲得数は8個。1998年長野大会の10個に次ぎ歴代2番目、1992年アルベールビル大会の7個を上回り、国外大会では最大のメダル獲得数という快挙になりました。
ソチオリンピック メダル獲得選手一覧
- 金1…羽生結弦(フィギュアスケート男子)
- 銀4…平野歩夢(スノーボード男子ハーフパイプ)、渡部暁斗(ノルディック複合個人ノーマルヒル)、葛西紀明(ジャンプ男子ラージヒル)、竹内智香(スノーボード女子パラレル大回転)
- 銅3…平岡卓(スノーボード男子ハーフパイプ)、葛西紀明/伊東大貴/竹内択/清水礼留飛(ジャンプ男子団体)、小野塚彩那(フリースタイルスキー女子ハーフパイプ)
こうして名前と競技名のリストを見るだけで、あの感動の獲得シーンと晴れやかな顔を思い出してしますよね。月並みだけど「感動をありがとう!」という気持ちになります。
でも、このリストを見て感じる違和感はなんでしょう。そう、ここに浅田真央選手や、上村愛子選手、高梨沙羅選手など、メダル獲得にはいたらなかったけれど、同じくらい、もしくはそれ以上に感動をくれた選手たちの名前がないからです。
主要な4~8位入賞者のリストも見てみましょう。
ソチオリンピック 4~8位入賞者(抜粋)
- 4位…上村愛子(フリースタイルスキー女子モーグル)、高梨沙羅(ジャンプ女子ノーマルヒル)
- 5位…町田樹(フィギュアスケート男子)
- 6位…高橋大輔(フィギュアスケート男子)、浅田真央(フィギュアスケート女子)
- 8位…鈴木明子(フィギュアスケート女子)
判官びいきでしょうか。メダルを獲った選手よりも、競技シーンも、インタビューのコメントなんかも、記憶に残っている気がします。
浅田真央選手とオリンピックの本来の目的
特に印象的だったのは、やはり浅田真央選手です。
ショートプログラムは、前半の転倒と後半のジャンプがコンビネーションにならなかったことから、まさかの16位となったものの、翌日のフリーの演技では8回の3回転を決め見事自己最高得点をマーク。6位入賞を果たしました。が、彼女がソチ五輪で成し遂げたことはそれだけじゃありません。
自ら「集大成」と位置づけた大会で味わった、彼女のプレッシャーと失意。そして、翌日のフリーで全てのジャンプ決めた瞬間の彼女の気持ち、後半ステップを踏んでいる間の想い、滑り終えたあとのあの涙・・・まるで自分のことのように感情移入してしまった人も多かったのではないでしょうか。
彼女からは、感動と一緒にオリンピックというイベントの本来の目的を教えてもらった気がしました。オリンピックの本来の目的とは何か?それは近代オリンピックの生みの親であるクーベルタンのこんな言葉に表れています。
「オリンピックの理想は人間を作ること、つまり参加までの過程が大事であり、オリンピックに参加することは人と付き合うこと、すなわち世界平和の意味を含んでいる」
また、オリンピックのあるべき姿(オリンピズム)として、こんなことも提唱しています。
「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」
-同上
つまりオリンピックの本来の目的は、「スポーツをとおして世界中が1つに繋がること」。この点について、さらに素敵な言葉で表現しているサイトがありましたのでご紹介します。
「オリンピックの本当の目的は、1つであることに気づいてもらうため。」
オリンピックの本当の目的は、実はもっと奥深いところにあります。「私たちは、1つであることに気づくため」にあるのです。
相手がいてこそ、レスリングは可能です。人間1人では、レスリングは成り立ちません。つまり、自分と相手は1つなのです。
サッカーというスポーツも、できるのは、私たちと相手と応援する人々がいるからです。どれが欠けていてもいけません。すべてで1つなのです。
1つになるのではなく、最初から、そもそも1つなのです。
世界一は、どこでもいいのです。個と全体の一体化が実現できれば、それでいい。「私たちはすべてで1つです」ということに気づくきっかけになることができれば、それでオリンピックは大成功なのです。
「すべてはひとつ」。スピリチュアルなキーワードと思われがちですが、真実です。それを端的に説明してくれている素晴らしい記事だと思います。浅田真央選手があのフリーの4分間で教えてくれた感動は、まさにこの「私たちが1つである」という気持ち。ここに尽きるかなと思います。
スポーツが持つ本来の素晴らしさ、フィギュアスケートという競技の本質的な美しさを表現しきったあとにだけ伝わる感動。それは人が人を評価した結果としてのメダルではなく、時を超えて不変で、国や地域を超えて普遍な共通の価値感として、人の記憶に残っていくものだろうと思います。
このことに気づいたあとでもなお、私たちはまたメダルを求めるでしょう。そして、その期待に応えるために未来のアスリートたちもメダルを目指すでしょう。
それはもちろん正しいことです。目的もゴールもないところに本気の努力はないし、本気の努力がないところに本当の感動もないでしょうから。
でも、最終的に僕たちが感じ取るべきは、その先の世界。メダルを突き抜けたところにある、恒久的な感動。願わくば、そこまでまた連れて行ってほしい。つれて行かれる喜びを僕らは知ってしまったから。
それでは、また。
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