「Yes,Master」

「Yes,Master」

RVJ1C

誰にでもマスターと呼べる人がいると思う。 喫茶店とかバーの店主さんのことではない。人生の師と呼べる人のことだ。

僕にとってのマスターは、会社に入って最初に配属された部署の先輩だった。4つ上の年次だった。

とても頭の良い人で、統率力と呼んでいい強力なカリスマ性があり、会社に従属しない反抗心を持ち、それでいて仕事は人一倍出来て、入社当時の僕にとってはまさにスーパーマン的存在だった。

そして、なかなかヒドい人でもあった。「ほわぁ」とか言って意味もなく僕を蹴り飛ばし、他の先輩と一緒に「いやぁ、後輩は選べないよなぁ」と嫌味を言っては僕の要領の悪さを攻めた。

全く頭が上がらなかった僕は、スターウォーズで言えば、ジェダイに頭の上がらないパダワン(弟子)そのもの。屈辱の中で、「Yes,Master(はい、分かりました・・・)」を繰り返している毎日だった。

平日の仕事で疲れた身体をせめて土日くらいはゆっくりと休ませよう、と思っても独身寮で隣(!)に住んでいた先輩は土曜日の朝にはドアをドンドンドンと叩き「出かけるぞ」とどこでもかしこでも連れ回し、プライベートはほぼ皆無だった。

なぜ、自分に比べて取るに足らない存在のはずの僕をこんなに構うんだろう。もう放っておいて欲しい、と何度も思った。他の部署の同期に「いい先輩だよな」と言われるたびに、人の気も知らないで、と思った。

とにかく、ずっと一緒にいた。
仕事も遊びも。特に遊びはすごかった。一緒にしたコンパの回数はおそらく50回を超えた。夏になれば海やキャンプやマウンテンバイクに連れて行かれ、冬になれば雪山に連れて行かれ、とにかくずっと構われっぱなしだった。

楽しくなかったと言えば嘘になるが、正直、時間もお金も体力も限界ギリギリでなんとかやっていた。でも、恐ろしさと面白さの境界線上で、いつしかこっちもムキになっていた。絶対諦めずに最後まで付いていってやる、と変な意地があった。

そうして半年、一年と経つうちに、先輩・後輩というよりも無二の親友のようになっていった。徐々にこちらの言い分(提案)も汲んでくれるようになって、ただの弟子というよりも弟のように可愛がってくれるようになっていった。

そしていつしか、お互いの人生観や恋愛観、仕事についての考え方などもそれぞれがそれぞれを認め合うことが出来、会社の繋がりなんかをとっくに超えた強い絆が出来上がった。

今は彼は東京、僕は四国と離れているけれど、年に4回はなんとか時間を調整して会っている。定期連絡会と称して。このお盆にも会った。そして、今までの数年間を振り返って自分たちの不思議な関係について再確認した。

「価値観も性格も全く違うけれど、この関係は絶対だな」と。おそらく、どちらかが死ぬまで。恐ろしい話だ(笑)。

今では二人で話し合うことで、ほぼ全ての事柄は良い形で解決できる関係になっている。たいていの場合、最初から同じ結論にたどり着いており、若干の食い違いがある場合も、納得するまで話し合うことでまで昇華できる。

そんな時には、僕は入社当時とは全く違うニュアンスで答えられるようになった。「Yes,Master(了解です!)」と。

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