【映画】「華麗なるギャツビー」から学ぶ「一途さ」という男らしさ

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「華麗なるギャツビー」を観た

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原作は読んだものの、海外文学なので和訳だと細かいニュアンスや空気感がつかめみきれずに終わったため、ずっと映画で見たかった作品。

レオナルド・ディカプリオとトビー・マグワイアという大好きな俳優が出ていたことと、原作でも見せ場となっている豪華絢爛なパーティシーンがどう映像化されているかという期待があった。

結論からいえば、原作の魅力を十分に引き出しながら映像化された秀作で、満足いく作品。

ド派手なパーティシーンをはじめ大金持ち気分を疑似体験できるシーンの数々や、異なる映像を重ね合わせる見せ方や、原作の文章をそのまま文字で浮き立たせる演出など随所に工夫が凝らされていた。あと、個人的にはパーティのあとの後片付けのシーンが妙にリアルで好き。

ただ正直、心を鷲掴みにされるような感動はなかった。それは本作の出来の問題というより、原作の時から感じていたストーリーそのもの、ギャツビーという男そのものへの違和感によるものだった。

ギャツビーという男に感じる違和感はなんだ

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主人公・ギャツビーは戦争によって離れ離れになった末、他の男と結婚してしまったかつての恋人デイジーを取り戻すべく、巨万の富を築き、彼女の家の対岸に豪邸を構え、そこで週末ごとに豪華なパーティを繰り返す。いつか彼女が表れてくれるのを待つために。

無事彼女との再会を果たしたあとは「過去をやり直す」「失った時間を取り戻す」ことに執着し、会わずにいた時間に起こったすべてのことを否定する。デイジーにも夫のことを愛したことは一度もないと言えと迫る。

デイジーは、彼との再会をはじめこそ喜んでいたものの、求められていることのハードルの高さに徐々に困惑していく。そして、ある事件をきっかけに彼女の心は離れていき、彼は無念の最後を向かえる。

ギャツビーの葬儀には、かつてパーティに訪れた人々はただ1人もやってこない。デイジーの姿もない。ただマスコミだけが押し寄せて醜悪な記事を書きたてた。友人ニックだけが彼の死を悼むことになった。

「過去」という追いかけても決して手に入らないものを、追い求めてしまった男。もう少しで手が届くところまでいって、すべてを失って死んだ男。ギャツビー。

観終わったあとに「ロマンチックな男だな」と思う反面、「愚かだな」「滑稽だな」という印象がぬぐえない。過去にとらわれすぎているところも、一人の女性にとらわれすぎているところも、もう少し違う生き方はできなかったのかなと、どうしても思ってしまうからだ。

「華麗なる(The Great)」の意味

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「華麗なるギャツビー(The Great Gatsby)」というタイトル。たった一人の女性のためにすべてを捧げ、そして無念にも死んでいった男がなぜ「華麗なる(The Great)」なのか。それはひとえに彼の「純粋な一途さ」を評した言葉なのかも。

享楽のためだけにパーティに集まる人々、パートナー以外の異性と関係を持つ人々、金という欲に熱を上げる人々、ゴシップ記事を書きたてる人々・・・。世俗にまみれたそうした人々の中にあって、どんなに滑稽であろうと、純粋な思いを遂げることだけを目的に生きて死んだ彼の存在はいやでも引き立つ。

「ギャツビー。君だけが価値ある人間だ」というセリフ。タイプ打ちされた「Gatsby」に付け加えられた手書きの「The Great」。いずれも語り部であるニックによるもの。彼は自分自身も世俗にまみれながら、同じ時代にあって一途な恋に生きて死んでいった友人の純粋さを評して「華麗なる(The Great)」と表現したのだろう。

人生というパーティの終わり。主人をなくした豪邸。祭りのあと。ひたすら男の子で、ひたすら一途な恋。観終わった後に繰り返し主人公ギャツビーのことを思ってしまう。「馬鹿なヤツだ」「でもすごいヤツだ」と。やはりどこかで、ここまで1つの恋に生きて死ぬことができる人生が羨ましいのかも知れない。

それでは、また。

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