以前こんな記事を書きました。
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人を見た目で判断してはいけない。
ましてや人様が着ている服についてどうこう言うなんて品がない。
でも、あえて断言します。
「服のセンスが微妙な人は、ぶっちゃけ生き方も微妙」だと。
服のセンスが悪い人の3つの特徴
1.サイズが合っていない
- 服はサイジングが最重要という常識がない
- サイズが合っていないことの気持ち悪さを感じる感受性がない
2.本人に似合っていない
- キャラクターに合っていない
- 年齢に合っていない
3.一貫した主義主張やストーリーがない
- ただ着ているだけ
- 見られることを意識していない
経験的にこうした人たちは、以下のような傾向が強いです。
- コミュニケーションを重視していない
- プライドが高い
- 頑固
- 自分がどう見られているかへの関心が薄い
「失礼なこと書くやつだな」という向きもあるでしょう。でも、実体験として本当にそうなんです。
仕事でもプライベートでも、初めてコンタクトをとったときに服のセンスが微妙だった人は、どうしてもこういった色眼鏡をかけてしまいます。
で、その後どうなるかと言えば「ああ、やっぱり微妙なコミュニケーションになった」という思いをして、結果的に色眼鏡が合っていた、ということが多いのです。
逆に、服のセンスが良い人たちの特徴も見てみましょう。
服のセンスが良い人の3つの特徴
1.服で自分を演出できる人
- モテるため、異性にささる服や着こなしを選べる
- 強い自分を演出するため、効果的に悪そうな服や着こなしを選べる
- トレンディな自分を演出するため、最新の服や着こなしを選べる
2.服に自分の人生観を投影できる人
- リラックスを優先するため、常にゆったりめの服を選ぶ
- 品格を重んじるため、常にフォーマルな服を選ぶ
- シンプルを信条としているので、無地で定番な服を選ぶ
- 効率を重んじているため、同じ服ばかりをたくさん持っている
3.服で自分を世の中にミートさせられる人
- 最低限人に不愉快な思いをさせない配慮ができる
- TPOに合わせられる
- 分相応な格好を心がけられる
こうしてみると、お金をかけているかどうかはまったく無関係であることがわかります。
また、意志を持って人生に攻めている人は服のセンスが良くて、意志がない、もしくは人生に対して守りの姿勢の人は服のセンスが悪いとも言えます。
服に責任を持つのが大人
こんなことを書いておいて何ですが、僕自身たいした恰好をしているわけではないです。でも少なくとも、人に後ろ指を指されるような格好はしたことはありません。(少なくともいい大人になってからは)
服は、裸族でもない限り、毎日必ず着るものです。また、家を出てから帰宅するまで、常に他の人に情報を発信し続けます。
つまり、他の人からすればその人の存在をかなりの比率で定義づけるツールとなります。
周囲に適切に受け止めてもらうためにも、大人は皆、自分の着る服に責任を持つべきだと考えます。
「いつだって ハックすべきは 自分自身」
こっきでした。
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↑ここまで
書いてはみたものの、何やら違和感がぬぐえずにずっと「下書き保存」の状態のままで公開してませんでした。
内容は悪くない。そこそこ面白い。
でもこのブログのポリシーとして人の悪口みたいなことは書かないと決めているからなんとなく公開したくないんだろうな、くらいに思っていました。
でも気づきました。この記事は内容が悪い。
理由は視点がとても「狭い」からです。
- 自分だけの狭い価値観の押し付けで書かれている
- 現代日本という狭い範囲での常識感で書かれている
いろいろな人がいろいろな理由でその日の服を選んで着ている。
その人なりのポリシーがあり、ライフステージがあり、今日の格好がある。
それを「センスある」「センスない」と断じるのはそれこそセンスがないなと思いました。
ましてやそれとコミュニケーション能力を繋げるなんてとても狭量な姿勢だと思います。
恥ずかしさが自らの学びになるので、この気づきとともにあらためて本記事を公開します。
それでは、また。
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