映画「ダークナイト」を観て、「弁証法」と「矛盾の止揚」のことを考えました、という記事です。
映画「ダークナイト」と「矛盾の止揚」
名作、映画「ダークナイト」の悪役にしてほぼ主役、ジョーカーにはこんな名言があります。
「あんたがいなくなったら俺はどうなるんだ。あんたがいるから俺がいるんだよ。」
-映画「ダークナイト」ジョーカー
ジョーカーは自分の楽しみのためだけに街を恐怖に陥れる、映画史上最強・最凶・最狂と名高い悪役中の悪役です。
一方で「あんた」とは主役バットマンのこと。頑張りすぎて迷惑がられたりしますが、いわゆる正義の味方です。
正義の味方がいるから、悪役の俺がいる。この構図よく見ますよね。
スターウォーズのジェダイとシス。アンパンマンとばいきんまん。ヤッターマンとドロンジョたち。ディズニープリンセスと魔女たちなんかもわかりやすいですね。
どの作品でも正義と悪は解消することなく、延々と戦い続けていますが、それこそが作品の魅力として昇華されています。
正義と悪と言う矛盾。それを統合した価値が作品になっている。こうした構図を哲学的には「矛盾の止揚」といいます。
「矛盾の止揚」とはなにか
「矛盾の止揚」とは、ドイツの哲学者ヘーゲルによって提唱された「弁証法」における基本的概念です。
私たちの認識や世界のあらゆる事象は、2つの矛盾しているものから、その2つのどちらでもない第3の新しいものが生まれることにより発展する、という考え方です。
ある「命題(テーゼ・正)」とその「反対の命題(アンチテーゼ・反)」とは、「対立」したあとに「統合(アウフヘーベン・止揚といいます)」することで、「まったく新しい命題(ジンテーゼ・合)」を得る、というものです。
何を言っているかというと、
- 正:これは「丸」だ
- 反:これは「四角」だ
- 合:これは「円柱」だ
といったような具合です。
「丸」と「四角」は一見相容れないもののように見えますが、上から見れば「丸」で横から見れば「四角」の「円柱」だ、とすればこれは「2つの命題」を「統合」したことになるわけですね。
映画における「矛盾の止揚」
冒頭の「ダークナイト」を弁証法的に整理するとこんな感じになります。
「ダークナイト」
正:悪の犯罪から街と市民たちを守る、敵であろうと命は奪わない(バットマン)
反:享楽的な犯罪で街と市民を恐怖に陥れる、味方でも命を奪う(ジョーカー)
合:「ダークナイト」
絶対的な善と、絶対的な悪が同時に存在することで作品世界が出来上がっています。
「矛盾の止揚」そのものが作品の魅力になっている作品は他にもあります。
「マトリックス」
正:プログラムの支配と甘美な夢(マトリックス世界)
反:プログラムからの自由と過酷な戦い(現実世界)
合:「マトリックス」
「タイタニック」
正:壮麗な豪華客船と永遠の愛(物語の前半)
反:残酷な沈没事故と人間の死(物語の後半)
合:「タイタニック」
両方の存在があってこそ初めて成立する価値があり、それを見出すためのツールが「矛盾の止揚」です。
世の中も個人の人生も実に「矛盾」に満ちています。
でもここまで書いてきたように、「矛盾」は「止揚」によって発展的な解決をすることができるならば、「矛盾の止揚」は世界を新しい価値観で切り取り、生きるヒントに変えるライフハックツールにもなるはずです。
そんな角度から「矛盾の止揚」を考えてみました。
「矛盾の止揚」を生きるヒントに
「第3の案」としての「矛盾の止揚」
- 正:Aという意見
- 反:Bという意見
- 合:Cという第3の案
「ビジネス」としての「矛盾の止揚」
- 正:課題のある現状
- 反:解決した未来
- 合:ビジネス企画
「イノベーション」としての「矛盾の止揚」
- 正:Aという既存の価値
- 反:Bという既存の価値
- 合:Cという新しいアイデア
「人と人との相乗効果」としての「矛盾の止揚」
- 正:夫という人間
- 反:妻という人間
- 合:夫婦(子どもも含めて家族になっていく)
「個人の成長」としての「矛盾の止揚」
- 正:知識・スキルが不十分な今の自分
- 反:入学したい学校、成し遂げたい仕事
- 合:勉強・努力・経験による成長
・・・少し使い方が違うものもあるかもしれませんが。笑
僕は「矛盾の止揚」をこんな考え方としてとらえています。
「自分ハック」という「矛盾の止揚」
「偉大な人ほど自分の中に多くの矛盾を抱え込める」と言います。
今までこの言葉の意味を「矛盾」を抱え込める度量がある、という風にとらえていました。
でも真意としては、その矛盾をどこかで「止揚」することで「大きな価値を生める人」ということを言いたいのかもしれません。
僕もそんな人になりたいなと思いつつ、今日も「自分ハック」につとめています。
それでは、また。
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