屋台で焼き鳥を買うことについての僕の考察

大きなひとりごと
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会社帰り。駅から自宅に向けて帰っていると焼き鳥屋さんの屋台があった。

 

屋台・・という表現が正しいんだろうか。小さな車(バン)の荷台部分を改造して焼き鳥台を取り付けた、ただ焼き鳥を売るだけの、その場で食べられる場所はない、よくあるタイプだ。

ときどき見かけていたけれど、なんだか屋台も小汚いし(失礼・・)、鶏肉もどこのを使っているかわからないし、いつもなんとなくスルーしてきた。

その日もいつものようにスルーしたわけだけど、20メートルくらい行き過ぎたところで、すごいいい匂いがしたことと、そういえば奥さんも焼き鳥大好きだったことを思い出して、くるりと向き直って買ってみることにした。

その間に別のお客さんが買っていて、少し待つことに。手持ちの本(アンドロイドは電気羊の夢を見るか?)を読みながら、せっかくなので焼き鳥屋さんのおじさんという生態を観察することに。

おじさんは60代くらいで短髪(ほぼ丸坊主)、口髭を生やしている。コワモテだけれど味のある雰囲気を醸し出している。オーダーを受けてショーケースに並べた焼き鳥を焼き機に上げてじゅーじゅーしている。

焼き鳥は下ごしらえされているようで、仕上げの焼きとタレ付けをして供するだけのようだ。ネギマのネギがほぼ生なのを見ると、下ごしらえは肉だけを焼いたりしているのかもしれない。

メニューは10種類以上。ネギマ、モモ、カワ、砂肝、軟骨、ぼんじり、レバー、つくね、豚バラ、ステーキ(牛?)など。

だいたい1本100円でときどき120円のものもある。どうなんだろう、結構儲かるもんなんだろうか。鶏肉を塊で買うとだいたい1羽300円くらいで、そこから10本以上はできるだろうから、1000円以上の売上になるからタレ等を含めても原価率35%くらいでいけるんだろうか。

バンの中に目をやると壁にはメニューやポスターみたいなものが貼られているけれど、焼き鳥のケムリが染みついているんだろうか、くすんでいてほぼ解読不能になっている。

おじさんの後ろ、荷台の奥の方にはごちゃごちゃとしていて、こちらも何が置いてあるか判別不能な状態。でも不思議と不潔な感じはしない。

前の人の会計が終わり、僕の番になる。ネギマ(これが好きでね)2本、モモ2本、カワとぼんじりを1本ずつ、計6本をオーダーすると、「600円ね」と言われる。120円のアイテムも入っていたはずなので「あれ、安くないですか?」と訊くと、「細かいのはオマケね」とのこと。

おお!!とちょっと嬉しくなるとともに、それなら「全品100円」とか書いた方が売れるのでは?と思ったり、でもこの意外性のある喜びというエンターテインメントは提供できなくなるし、どっちがいいかはわからないな、と思ったりした。

おじさんはそんなやりとりの間も、ひたすらじゅーじゅーしている。焼き鳥を焼いて出るもうもうとしたケムリの向こうでなんだか神々しい感じすらする。

焼きあがって600円を払って家に帰る。

帰ってから奥さんと食べてみると、めちゃめちゃ美味い。タレは伝統的な、いわゆる焼き鳥のタレ味。噛めば肉のジューシーな旨みがあふれ出てくる。

食べながら、ふと焼き鳥屋のおじさんを思い出す。かっこいいな、と思った。焼き鳥屋さんという生き様。よく考えてみればすごい商売だ。

あのおじさんが焼いた焼き鳥が美味しい、また買いたいという気持ちは、すなわちあのおじさんの存在そのものにお金を払いたいと言っていることと同義な気がした。まさに職人の世界ということか。

あのおじさんが今日という日を生きて、焼き鳥を焼くという行動を通してのみ、提供しうる商品を「また買いたい」と思っているお客さんがいる。それってすごいかっこいい生き方だなと。プロだなと。自分はそういう仕事の仕方できているかなと。していきたいなと。そう思いました。

おじさんんみたいに仕事をする人になる、その手始めに、まずは家で自家製焼き鳥でもチャレンジしてみようかな。もちろんネギマから。

 

それでは、また。

 

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