娘を幼稚園に送る道すがら、少し前に話題になっていたこんな記事のことを思い出していた。
中国からの旅行客が口にする「日本すごい」という賞賛を、日本人が真に受けすぎではないか、という内容だった。
記事によると、日本の安全性・清潔さ・サービスレベルの高さに感心はしても、本音は高齢者の多い、都市機能やITインフラが遅れた小国という印象が強くなっているという。
総じて、今の日本人は外国人から受ける「社交辞令」を真に受けすぎている。そして、それは日本人が自国に自信がないことが影響なのではないかとしている。
この記事を読んで、僕は素直に「なるほどな」と思った。
確かに近年、中国をはじめとしたアジア諸国の発展スピードは著しく、記事内でも触れられていた決済系・通信系のITインフラの浸透に関してはすでに日本を抜き差って久しいというニュースをよく聴くようになった。
また、テレビ番組なんかでも「日本すごい」みたいな内容を取り上げることが多いし、実際にそれを見ていると、日本人としての小さな自尊心が満たされるのも自覚しているところだったからだ。
かつての日本がそうであったように、新興国がそれまでの先進諸国を追い抜いていくのは必然だし、それが世界全体の発展を加速度的に進める意味では間違いなく良いことに違いないのは歴史が証明しているところだ。
でも人間というのは弱いもので、自分が追い抜かれる身になったときには、どこか寂しいものだし、もっといえば、危機意識みたいなものが湧いてくるのも正直なところだ。
そういえば「AIを生み出せるAI」なんてニュースも見た。
Googleが「自らの力で新たなAI(人工知能)を作り出すことができる機能を備えたAI」の開発に成功したという。驚きなのは、その「子AI」は、人間が作るAIよりも性能的に優れているということだった。
いわゆる「シンギュラリティ(技術的特異点)」と呼ばれる、AIの進歩が人間の進歩に大きな影響を及ぼすといわれる仮説を連想させる話だ。
映画「ターミネーター」や「マトリックス」の世界が現実のものになり始めていることに、「すごい!」と思う以上に「おそろしい!」という気持ちが先に来てしまう。
なにやら薄暗い気持ちになってきたので、それを振り払うように、一緒に歩く娘と話をすることにした。
彼女の将来の夢や、今一番楽しい遊びのこと、仲の良い友達の話なんかを聞きながら、「この子が生きていく世界は、どうなっていくのかな」という思いを馳せていた。
もちろん、いま41歳の僕が生きている間にもまだまだ世界は変わっていくだろう。でも、いま6歳の娘は、さらにその先の未来を生きていくことになる。一体、親として、何ができるのだろう。
そうこうしているうちに、幼稚園に到着した。門の前でバイバイすると、中では若い男の先生が娘に「おはよう~」と挨拶をしてくれている。
靴箱で上履きに履き替え始めた娘を眺めていると、その先生が僕の存在に気づいて話しかけてきた。
「おはようございます。娘さん、縄跳びがすごい上手なんですよ。
どうやら体操を担当してくれているらしい先生がそう褒めると、娘はちょっと恥ずかしそうにしながらも嬉しそうにしている。
僕も「そうなんですね。ありがとうございます」と返しながら、親として誇らしい気持ちになった。素直に嬉しかったのだ。
無事送り届けたので、そのまま会社に行くために駅に向かう。
その道すがらもこの出来事を思い出しつつ、そういえば僕自身は縄跳びで褒められたことなんて人生で一度もないことに気が付いた。つまり「縄跳び」に関しては、娘はもう僕よりも優秀な人間に育っているということだ。
これからいろいろなことで、彼女は親の僕を追い抜いていくだろう。勉強、仕事、人間関係、趣味や特技……。
「いいぞ、いいぞ。僕ごときどんどん追い抜いて、素敵な人生を歩んでいっておくれ」
そんな風に思っていた。
そして、ふと僕は不思議に思った。新興国やAIに追い抜かれることは脅威に感じるのに、娘に追い抜かれることは、なぜこんなに歓迎できるのか。もしその差が、相手が追い抜く相手が身近な存在か否か、というだけのことならば、こんなに偏狭なモノの見方もないのではないか、と思った。
新興国が新しい技術に追いつくときに、段階的な進化ではなく、途中のステップを跳び越して一気に最先端の技術に到達することを「リープフロッグ(カエル跳び)現象」と言うらしい。
かつての日本が列強諸国を「カエル跳び」したように、今度はアジア諸国が日本を「カエル跳び」しようとしている。僕たちが上の世代を「カエル跳び」にしたように、今度は次世代が僕たちを「カエル跳び」にしようとしている。
そう考えると、何だか愉快な気持ちになってきた。世界中でカエル跳びをしながら、「やったー飛び越えたー」とか、「うへー飛び越えられたー」とか、そんなゲームをしているような気がしてきたのだ。
これが何を意味するかといえば、僕たちは常に「僕たち以上」を生み出せる能力を持っている、ということだ。そして、それをお互いにくり返すことで、進歩・進化してきた生き物だということだ。
僕は僕で、今日の仕事の中でも、昨日まで行ってきたことを改善したり、効率化したりといったアップデートをするだろう。新しいチャレンジをして、新しい価値を生むように働きかけるだろう。
そんな風に「みんなのカエル跳び」に自らも参加し続ける限り、この世界はより素晴らしいものになり続けるし、誰だってその進歩・進化の歴史の1ページになり続けられるはずだと思えた。
さあ、今日も一日を頑張ろう。ぴょん!
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