父親が喫茶店をやっている関係もあって、子供の頃からコーヒーを飲んでいる。家族も皆飲む。他の家がお茶を飲むタイミングでは我が家は必ずコーヒーを飲んだ。
僕の考え過ぎかも知れないけれど、ちゃんとコーヒーをたしなむまでは我が家の一員と認められないんじゃないかという危機感を感じて育った。
それがために小学生のときはブラックで飲めないことが本気でコンプレックスだった。それだけに初めて飲めた(たぶん中学1年)ときは本気で誇らしかった。世界に向けて「僕はブラックが飲めるんだぞー!」と叫びたかったくらい。
母ちゃんは自分が淹れたコーヒーにミルクを入れられるたび、「あら失礼なやつだね」と憤慨した。そのときのすり込みで今でも人が淹れたコーヒーにミルクを入れるときは、なんとなく「大変失礼申し上げます」という気分で入れる。
そういう母ちゃんは自分は自分でよくミルクを入れた。最初の1/3はブラックで、次の1/3はミルクを入れて、最後の1/3は砂糖も入れて。なんてことだ!まったくもって不純な楽しみ方だ!
姉ちゃんが東京で一人暮らしをして、夜いろいろ議論をするときに出してもらうのもいつもコーヒーだった。なにやら変な豆を買ってきては淹れるもんだから、味の落差が激しくて、それはそれで面白かった。
高校・大学の間はやたらめったらブラックで飲み続けた。この苦さと酸味の中にほのかに香るコクこそが人生の味、みたいな。正直、ミルク入れないと厳しいやつも無理やりブラックで。しんどかった。
大阪配属時代は独身寮の自分の部屋が喫茶店のようだった。同期は皆、彼女を連れ込んではまず僕の部屋に来てコーヒーを注文した。その頃は実家から店のコーヒーを送ってもらっていて、それが非常に好評だった。飲みながら、「へ~このコがね。それでなれそめは?」みたいな会話を楽しんだもんだった。
(ああ思い出した。独身寮609号室。最上階の一番端の部屋。この部屋が僕の青春だった。今度これも日記に書こうと今決めた)
大阪時代の同期の女のコに、コーヒーが飲めないコがいた。「あんなん飲んだら胃がただれそうやんかぁ~」なんて言いやがった。ちきしょ。あんまり腹が立ったもんだから、部屋ではリプトンの紅茶を出してあげた。(負けてんじゃん)
最近はコーヒーに躊躇なくミルクを入れる。むろんブラックで飲むんだけれど、入れたくなったら頃合を見計らって入れる。おそらく、いろんなことを無理しないで楽しむ、そういう年齢になってきたんだろうと思う。サイズの合った服を着るようになるのと一緒だ。
今もPCに向かうとき、傍らには必ずコーヒーがある。mixiでみんなとの交流を楽しみながら、飲む。
盛り上がりすぎる自分を、落ち込みすぎる自分を、冷静になり過ぎる自分を、混乱しすぎる自分を、全部まとめてニュートラルに戻してくれる、コーヒー。僕はそんなコーヒーが大好きだ。
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