「君の名は。」に学ぶ「心の最大公約数」の満たし方

映画から学ぶ
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今さらながら映画「君の名は。」を観た。

言わずと知れた大ヒット映画で、もはや観ていない人を探す方が大変になってきたと言ってもいい。(実際、会社の同じ部署の人たちに観たことを話したら全員鑑賞済みで「今さらかい!」とツッコまれた……)

僕も奥さんも天邪鬼なので、ヒットすればするほど、わざとソッポ向くようなところがある。ただ今回ばかりは国民的な話題をかっさらった作品だし、レンタルも開始したところで、いよいよ夫婦で観てみることにした。

 

(以下、ネタバレを含むので未見の方はご注意を)

 

結論としては、前評判通りのとても良い映画だった。作品世界に引き込まれたし、素直に感動した。

まず、絵がとても綺麗な映画だった。

キャラクターも好感が持てるビジュアルだし、見せ所が多い空や、何気ない町並みなんかも、とても丁寧に描きこまれていて、思わず引き込まれた。

また、エンタメ性に富んだストーリーも良かった。

入れ替わりやタイムスリップというSF要素をベースにラブストーリーが展開していき、後半は彗星が起こす一大スペクタクルが加わる。「この後どうなるんだろう……」と観る人を飽きさせることがなかった。

そして、全体のテンポも非常に良かった。

引き戸を使った効果的な場面転換や、要所に挿入されるRADWIMPSの曲(一部、騒がし過ぎる場面もあったが……)が作品全体のリズムを作り、上映時間の107分があっという間だった。

映画に飽きてくると、どちらからともなくプラプラとお菓子を取りに行ったり、コーヒーを淹れに行ったりし始める僕たち夫婦も、今回ばかりは集中して観ていた。

観終わったあとも、いつもなら何かしら難癖をつける僕たち夫婦も、今回ばかりは「なんか……とってもよかったね」と素直に感動していた。

そして、いつもの基本動作で作品のネタバレ感想や解説サイトなどをチェックしてみると「泣いた!」「感動した!」「何回でも観たい!」という絶賛の声が多数ある一方で「薄っぺらい」「ここまで大ヒットする理由がわからない」という意見も一定数あった。

どんな作品でも好意的な感想と、批判的な感想は必ずあるものだし、作品がヒットすればするほど「アンチ」と呼ばれる層が増えていくこともまた事実だ(僕も天邪鬼だからこの気持ちもよくわかる)。

たしかに作中の矛盾点やご都合主義な展開への違和感はあった。ただ、それを補って余りあるどころか、そういった一部不完全に見える部分も、チャームポイントとして愛おしくなるくらい、観ているものを魅了する作品だった。

 

「君の名は。」のように大ヒットする作品というのは、老若男女を問わず、多くの人を魅了し、ファンにしていく。その理由は「心の最大公約数」を満たすからだと考えている。つまり、それだけ多くの人にとって「共感」を呼ぶコンテンツであるということだ。

「心の最大公約数」を満たして(つまり多くの人の共感を呼んで)大ヒットする作品には共通する条件がある。

その1つ目は「わかりやすい」ということだ。

ストーリーの簡潔さはもちろんのこと、登場人物の性格や考えていることなどが、徹底してシンプルで、ある意味「お約束」をおさえていることで、多くの鑑賞者にとって手に取るようにわかるものである必要がある。

そして大ヒットの条件2つ目は、「ポジティブ」であるということ。

全編を通してバカ明るい必要はない。作中、悲劇的な要素がいくら入ってもまったく問題はないが、物語のラストだけはハッピーエンドで徹底されていることが共感を得るために必要になると思う。

そして、条件の3つ目は「どこか懐かしい」ことだ。

大ヒットする作品は登場するシーンや、主人公の感情などが、まるで自分人生で起こったかことのような感覚を抱くものだ。老若男女問わず、多くの人にこの感覚を抱かせることができる作品が大ヒットする。

こうして見ると「君の名は。」は3つの条件すべてを満たしていると思うが、3つ目の「どこか懐かしい」については、もう少し考察を加えていきたいと思う。

 

「君の名は。」の作品世界や登場人物の持つ感情は不思議と懐かしい。誰もが心のどこかに閉じ込めたはずの「過去の自分」を無理やり呼び起こすようなパワーがある。

でもよく考えてみるとこれは不思議なことだ。全国津々浦々の老若男女の共感を呼んでいるということは、主人公に近しい青春を過ごした時代も、場所も、本人の状況もバラバラな人たちが一様にこの「懐かしさ」を感じていることになる。

「君の名は。」の「懐かしさ」の正体。そのヒントは本作のキーパーソンの一人である、ヒロインの祖母が話すこんなセリフにあると思う。

「よりあつまって形を作り、捻れて絡まって、時には戻って、途切れ、またつながり。それが組紐。それが時間。それが、ムスビ」

これは作中で重要な役目を果たす「組紐」と呼ばれる伝統工芸品を家族で作るシーンでの一言だが、ここで話されている内容はそのまま「入れ替わり」「タイムスリップ」「別れと出会い」という物語の重要な伏線を表している。

それだけではなく、この「時間軸が交錯しながら繋がっていく感覚」こそが、僕らが本作に強い共感を持つ理由なのではないかと考えた。

僕らは映画の主人公たちのように不思議な現象に見舞われることはない。でも頭の中では同じような時間軸の感覚を持っている気がする。

仕事中に家族のことを思ったり、家庭で仕事のことを考えたり、お風呂でふとアイデアが浮かんだり。何気ない帰り道に、すっかり忘れていた高校時代を思い出したり、10年前に付き合っていた人の一言が頭を横切ったり。

自分自身の過去と現在を行き来したり、人を思い、未来を思って、考えを巡らしたり。ある意味、僕らの「思い」は常に「時空を超えている」といっていい。

「君の名は。」が思い出させてくれる「懐かしさ」は、この「時空を超える思い」みたいなものなのかもしれないと僕は思っている。

 

冒頭「今さらながら」本作を観た、と書いた。

ただ、本作が教えてくれていることを僕たちはすでに知っている。その意味では、公開時に劇場で観ようが、1年後にレンタルして自宅で観ようが、10年後に観ようが、この普遍的な価値は変わらないのではないかと思う。

極端にいえば「君の名は。」は観る必要がない映画なのかもしれないとさえ思う。なぜなら、この作品が教えてくれるものは、すでに僕たちの心の中にあるものであり、本作を鑑賞する理由は、その心の中の大切な何かを確認するだけのことだから。

って、それは言い過ぎか。

それでは、また。

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