「巨人の肩の上に立つ」と遠くまで見渡せる(Stand on the shoulders of giants)

「巨人の肩の上に立つ」と遠くまで見渡せる(Stand on the shoulders of giants)

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「巨人の肩の上に立つ」とは何か

僕の上司は学術的に研究された理論やモデル、フレームワークなどをよく引用しながら話をしてくれる人です。

仕事の相談をしたときに。部門の朝礼の話の中で。そして、個別の勉強会のときなどにも、ビジネス用語や心理学用語、時には映画のシーンなども含めて、過去の知見を持ち出しながら、その時に目の前にした人たちに伝えたいメッセージを伝えています。

彼はその理由を「巨人の肩の上に立つ」という言葉で説明してくれました。

「巨人の肩の上に立つ」とは「先人の積み重ねた発見の上に、新しい発見をすること」の比喩(メタファー)で、「巨人の肩に乗る」「巨人の肩の上に立つ矮人(わいじん)」などと表現もされたりします。

万有引力を発見したアイザック・ニュートンが、知人に宛てた手紙の中でも、

「私がさらに遠くを見ることができたとしたら、それはたんに私が巨人の肩に乗っていたからです」

と、この比喩が登場しているとのことです。

そのためニュートンの言葉だと思っている人も多いようですが、原典はフランスの哲学者シャルトルのベルナール(ベルナルドゥス)の言葉だとされています。

シャルトルのベルナルドゥスはわれわれをよく巨人の肩の上に乗っている矮人(わいじん)に準(なぞら)えたものであった。

われわれは彼らよりも、より多く、より遠くまで見ることができる。しかし、それはわれわれの視力が鋭いからでもなく、あるいは、われわれの背丈が高いからでもなく、われわれが巨人の身体で上に高く持ち上げられているからだ、とベルナルドゥスは指摘していた。

私もまったくその通りだと思う。

柴田平三郎「中世の春」より

私もまったくその通りだと思います。

僕らはみんな「巨人の肩」に乗っている

世の中の真理をついた言葉と言うのは、あらゆる場面で応用できるため、この言葉も自然科学、出版物や音楽などの著作物、ソフトウェア開発など、多くの分野で引用されています。

僕はどんな「巨人の肩」に乗っているだろうと考えると、本当にありとあらゆるものの上に乗っからせてもらっているなと感じました。

まずは言葉の意味そのままに、子どもの頃からこれまでに勉強してきたありとあらゆる理論や考え方の上で先を見ていることを思いました。

国語、社会、算数、理科、音楽、図画工作、家庭、体育、道徳、英語、古文、現代文、地理、世界史、日本史、数学、物理、化学など、小学校から高校までに習ってきたあらゆる教科の知識。大学に入ってから学んだ経営学。

子どものころから読んできた本や漫画やゲーム。社会人になってから読んできた自己啓発書やビジネス書。

それ以外にも、親・姉弟から学んだこと。友人から学んだこと。アルバイト先や会社の先輩・上司から教えてもらったことにも支えられて生きています。

生活のインフラだって、先人たちの知恵の塊です。毎日の生活を送っている現代家屋としての我が家(マンション)。今日も寝る場所であるベッド。今日も食べる誰かが考えたレシピ。今日も使う誰かが発明した食器。

今日も聴く誰かが考えたメロディと歌詞。電車や車など移動手段。インターネットやスマートフォンという情報インフラやデバイス。

・・・などなど、実にさまざまな「先人の積み重ねた発見の上」で今日を生きているなと感じました。

ここに挙げたものは僕でなくても、どんな人も乗っかっている「巨人の肩」であり、つまるところ、僕らはみんな「巨人の肩」の上で生きている、生かされているということになるんだろうなと思いました。

大切なのは「遠くを見て新しい発見をする」こと

ここまで整理したところで、あらためて、そんな巨人の肩の上で今日も生かされている僕は「それでは、今日どんな新しい発見をしたんだろう」と自問自答をしてみて、何一つ発見していないことに気がつきました。

僕はアイザック・ニュートンよりも、レオナルド・ダヴィンチよりも、ソクラテスたちよりも、巨人の肩に乗せてもらっておきながら……、つまり彼らよりも遠くを見渡せる環境にいながら、いったい何をやっているんだろうと思いました。

もちろんそんな天才たちと自分を比べるなんて、おこがましいを通り越してスットコドッコイもいいところですが、思わず比較してしまうくらい高いゲタを履かせてもらっているのも事実なんじゃないかと考えたわけです。

せっかく遠くを見渡せる世界を生きているんだから、生きているうちに出来るだけ新しい発見をしたい。

そうして、次の世代の「巨人の肩」・・・そのものにはなれなくても、「肩の皮膚片の一部」くらいには、なれるんじゃないか、なれるといいなぁ、なんて思いました。

そんなわけで、自分は少なくとも自分が見聞きした知識を、自分なりにわかりやすく、興味深く人に伝えることをして、誰かにとっての「巨人の肩……の皮膚片の一部」になるべく、今日も仕事をして、家族と話して、ブログを書いているんだと思います。

あなたは、誰の「巨人の肩」を目指しますか。

 

それでは、また。

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