子どものころからボンヤリ考えごとをするのが好きだった。
学校への行き帰りの通学路。授業中。家で過ごす間。いつも考えごとをしていた。
大人になってからも変わらない。
会社への行き帰りの満員電車の中。仕事中。家族と過ごす間。やはり、いつも考えごとをしている。
考えている内容は様々だ。家族のこと。仕事のこと。人間関係のこと。過去のこと。未来のこと。そのときどきでテーマは変わる。
だが、その表層上のテーマの裏側で、一貫して考え続けていることが1つある。
それは
「自分とは何か」
という問いだ。
哲学的な問いではあるが、およそ考えたことがない人はいないくらい、世の中的にも最もポピュラーな問いかけといっていいものだ。
20代後半になって、この問いへのアプローチがあることを知った。
それが
「自己啓発」
だった。
「7つの習慣」を読んだことがきっかけとなり、以降、自己啓発的なアプローチで考えごとをすることが増えた。
そして「自分とは何か」の答えは、「自分を磨く」ことで得られると信じて、日々を生きることになった。
この記事では「自分とは何か」を自分なりに言葉にしてみる。
辞書によれば「自分」とは「自分自身」「その人自身」のことである。言うなれば、その人にとっての「世界の最小単位」といえる存在。それが「自分」である。
人は誰も「自分」として生まれ、「自分」として死んでいく。その意味で「自分」は「人生の出発点」であり、「人生の終着点」でもある。
生きていくうえで、酸素を吸って、二酸化炭素を吐いていく。食べもの、飲みものを口にし、排せつ物を出していく。インプットをし、アウトプットをする。誰かと出会い、別れていく。「自分」とは、様々なものが通る「管(くだ)」みたいなものであり、入り口と出口がある「部屋」みたいなものでもある。
「自分」が「自分」である以上、1秒たりとも「他人事」にはできない「圧倒的当事者意識を持つべき課題」である。
「他者」や「起こる出来事」をコントロールすることはできないが、「自分」や「自分の言動」はコントロールすることができる。つまり「自分」は「世界で唯一、完全にコントロールできる人間」と言っていい。
一方で、人生とは「初めて知る自分」に出会い続ける旅でもある。解けたと思ったら、また謎を生み出す存在。「自分」とは「最大のミステリー」ともいえる。
新しい自分を知るたびに、自分の中で一貫性がなくなっていくことがある。品行方正な自分がいたかと思ったら、卑怯で下劣な自分を見つけてしまうこともある。「自分」とは「最大の矛盾」であり、これを統合することが人生において求められる。
「自分」は「人生という舞台を演じ切るために必要な資源(リソース)」である。「自分」という存在の体力、知力、精神力が続く限り、人生を続けることができる。
また、人生を豊かなものにしようと考えたとき、「人生の豊かさ」を決めているのもまた「自分」である以上、最初に働きかけるべき対象は「自分」である。
同時に「自分」は、人生を好転させようと思ったときに、最も少ないコストで、最も大きなリターン得ることができる「最高の投資先」でもある。その意味で「自分」とは「梃子(てこ)の原理」における「力点(レバレッジポイント)」である。
「自分」はまた「創造性の源泉」として機能する。アートとは、「自分」という「クラッカーボール(かんしゃく玉)」を潰して、爆発させて、それまで誰も生み出せなかった何かを生み出すことである。
そもそも「自分とは何か」を定義するのもまた、「自分」に他ならない。
「自分」が「可能性の塊」である、という意識を持ち続けることで、「自分」という存在の定義は、どんどん変わっていく。
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