42歳の夏。盛岡という町に生まれて初めて降り立った。
42年も生きてきても、まだまだ初めてのことが起こるから人生というのはやめられない。
旅行ではなく出張だ。
盛岡という町のことを悪く言うつもりはまったくない。ただ正直な話、岩手県にある町だったか、宮城県にある町だったか、それすらもおぼろげなレベルだった。なんとなく、わんこそばとか、じゃじゃ麺とか、麺類のイメージがある。それくらいの知識しかなかった。
直近は出張が続く予定になっている。
夏から秋にかけて、高松に1回、福岡に2回、そして盛岡に3回来る予定になっている。盛岡という町を悪く言うつもりは本当にこれっぽっちもない。ただ正直な話、なんで3回も行かないといけないのかな、というのが、最初の感想だった。
すでに盛岡に出張をしていた同僚にどんな町か聞いてみると、聞けば聞くほど、行きたい気持ちにブレーキがかかる情報ばかりが入ってきた。
いわく、20時にはめぼしい店が閉まる。
だからコンビニでご飯を買うことになる。
一番の繁華街がなんだか暗い。
そんな話ばかりだった。
「またまた、そんな大げさな……」と、話半分に聞いてはいたけれど、期待せずに行こうという気持ちが強くなるには十分な前情報だった。
果たして、初盛岡にやってきた。
新幹線を降りて駅前広場に出ると、なるほど暗い。
人もまばらである。
ホテルは駅から徒歩10分くらいのところにあったので、歩きながら街や人を眺める。
皆、誠実そうな顔をして歩いていて好感が持てる。
しばらく歩くと、有名な北上川に出る。大きな橋を渡る。開運橋という何ともメデタイ名前の橋だ。橋を渡る間、夜風がどこか懐かしい、甘い匂いを運んできた。
「フム。盛岡、悪くないじゃないか」と思った。(やや上から)
初めて降り立った、同僚に少しばかりdisられ過ぎた、この街を、早くも気に入り始めている自分がいた。
通りの両側の居酒屋には「盛岡冷麺」「じゃじゃ麺」と名物の文字が躍り始める。
飛び込みで入っちゃおうかなと思ったけれど、土地勘がない場所に来た時の基本動作は「その土地の人にオススメを聞く」ということを思い出して、まずはホテルに向かう。
ホテルにチェックイン後、荷物を部屋に置いたら、すぐにフロントに戻った。
オススメの店を聞いてみると、紙の地図を渡してくれて、
「繁華街はこちらですね。時間的には居酒屋になります。名物ですと、じゃじゃ麺の店か、もしくは焼肉屋さんですね」
「え? 焼肉屋さん?」と僕がいぶかしがると、
「はい。焼肉屋で冷麺が食べられますので、皆さん焼肉屋で冷麺だけオーダーされますよ」ということだった。
フロントの男性からはそれ以上の情報はもらえなそうだったので、とにかくその繁華街といわれた通りまでプラプラと歩いていくことにした。
ものの3分ほどで盛岡一の繁華街と言われる通りに出た。
駅前よりはだいぶマシとはいえ、それほど賑やかというわけではなかった。でもお店はそれなりにあるにはある。
僕はフロントマンにもらえたほぼ唯一のヒント「焼肉屋で冷麺」にかけてみることにした。
何店舗か焼肉屋をみつけて、そのうちの一店にあたりをつけて入った。カウンター席に通されると、お一人様でも気兼ねなく食べられるスペースが用意されていた。
メニューを開いてジントニックとホルモンを頼む。
すぐに冷麺を頼もうと思ったけれど、やっぱり遠慮してしまった。焼肉屋に来たんだから、やっぱり焼肉的な何かを頼まないと。ホルモン好きだし、おつまみ程度にね。
さっそくホルモンを焼き始める。焼きながらジントニックを飲む。なんか、いい夜だ。
焼きながら「ホルモンって焼き加減が難しいよな」と思った。
カウンター席だったので目の前には店員さんがいた。そのままその素朴な疑問をぶつけてみることにした。
「ホルモンってどうなったら焼き上がりなんですかね」と僕がすっとぼけて聞くと、「好みによりますね。でもそれはまだ冷たいと思いますよ」とその店員さんは言った。
あらためて目の前のホルモンを見ると、一見焼けているようにも見える。ふうん、難しいもんだ。
店員さんが続ける。
「火の近くで焼くよりも、遠火でじっくりと焼いた方が美味しいですよ」
言われたとおりに素直に遠火でじっくりと焼き始める。脂の落ち方も、煙も少し落ち着いてくる。なるほど、これは美味しく焼けそうだ。
白いコロコロしたホルモンが脂を落としながら、焼けていくのを眺めながら僕の中で何かがひらめいた。
「焼き加減は好みによる」
でも
「遠火でじっくり焼いた方が美味しい」
ウム、まるで人生みたいじゃないか。
僕は何かにつけて「これってまるで人生みたいだな」と思う。
仕事でも家庭でも、ふとした瞬間に「これって人生みたいだな」と思う。今夜はホルモンが人生みたいだと思った。
遠回りでもじっくり経験することで美味しくなる。そんな人生を送っていきたいと思った。
盛岡という街もまたじっくり味わうべき場所なのかもしれない。明日からの二日間も楽しみだ。
ふう、いい夜だな。
初めて来た街で初めて来た店で人生の妙を味わうなんて。こんな夜がどれだけあるかで、それこそ人生の満足感って決まるのかもしれない。そう思ったときに、大事なことを忘れていることに気が付いた。
そう冷麺である。
思い出して、さっそくオーダー。これがまためっちゃ美味かったのよ。
それでは、また。
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