「お願いですから“仕事”をしてもらえませんかね?」と上司は言った。部門の立て直しのため、新しく来たばかりの人だった。
当時、僕が所属していた部門は全部で30名ほど。
数名単位のプロジェクトに分かれて、ウェブサービスの企画・開発・運営を進めていて、僕はそのうちの1つを任されるプロジェクトマネージャーだった。
そのとき僕はリリースしたばかりのサービスを担当していた。
念願の企画職に転向して1年、初めて世に出したサービスだっただけに、特別な思い入れをもって担当していた。でも、大きな問題があった。
利用者数が伸びなかったのである。
サイト閲覧数や広告売上が、当初目標としていたラインを大幅に下回っていた。
他にも不調サービスを抱えた部門だったことから、立て直しのため、急きょ部門長が代わることになったのだ。
新しい上司は、眼光鋭いコワモテな男だった。
着任早々、部門メンバー全員を集めて、持ち前の低い声で静かにこう宣言した。
「これからこの部門を立て直すために、あらゆる手を打つ。サービスやプロジェクト体制の見直しもする。ついて来られない人は異動願いを出してかまわない。ついて来ると決めたら、とことんついて来てほしい」
彼はその言葉どおり、すぐに手を打ち始めた。
最初に行ったのはプロジェクト体制の見直しだった。
それまでプロジェクトマネージャーをやっていた人間はほとんど外されて、彼の見立てで新しい人が任命された。僕もその外された一人だった。
次に提供サービスの見直しが行われた。
利用者数の少ないサービスは、新規開発がストップされ、再成長プランを描くか、もしくは終了する判断を求められた。僕の担当サービスもその対象となった。
プロジェクトマネージャーをクビになったことはショックだったが、担当サービスはまだ復活のチャンスがある。僕は落ち込む暇もなく、再成長シナリオを彼の元に毎日のように持ち込んだ。
「今は数字が伸びていないけれど、必ず伸ばす算段があります」
「今後も数字的な貢献は大きくないかも知れないですが、他サービスとの連携をすれば戦略的な存在意義が出ます」
パワーポイントの資料を作っては提案し、作っては提案し、を繰り返していたある日、その言葉を言い放たれた。
「お願いですから“仕事”をしてもらえませんかね?」
「え……?」
僕はあっけにとられた。意味が分からなかったのだ。
自分は立派に仕事をしている。むしろ周囲の誰よりも頑張っている。なぜそんなことを言うのか。その反応を眺めたあとで、彼は静かにこう続けた。
「俺があなたにやって欲しい仕事は“今”数字を上げることです。それ以外のことは一切やって欲しくない。こうして、よく分からない資料を作って持ってくる時間があったら、とにかく数字を上げることに時間を使ってもらってもいいですかね?」
そう言い切ると、僕のことを鋭い眼光で眺めているのだった。
「す、すみません……仕事をします……」と言うのが精一杯だった。
その日はまっすぐ家に帰る気にもなれず、夜のカフェで起こったことをふりかえった。
恥ずかしかった。自分が仕事をしているフリをしているだけ、そういうポーズをとっているだけと言われたことが無性に恥ずかしかった。
そしてそれ以上に、悔しかった。彼が言っているとおり、僕は何も生み出していない存在だった。それに気づかされてとにかく悔しかった。
プロジェクトマネージャーを外された瞬間は、ただショックを受けていただけだったけれど、今度こそトドメを刺された思いだった。
(今のままではビジネスマンとして無価値だ。自分の生存をかけて本気で取り組まなければ……)
僕の中で、何かが変わった。
その日以降、僕は仕事のやり方を180度変えた。
自分の数字ではなく、部門全体の数字を上げることを考えた。そして自分のポジションを気にせずに、数字を上げるために必要な働きかけは全部やることにした。
サービスのクローズ対応にも手を挙げた。部門全体の数字を上げるためには必要な仕事だった。僕の担当サービスも真っ先に手をつけた。
そのほかにも業務フローの見直しや、会議の効率化、関係の悪いプロジェクト同士の仲介役など、部門の数字を上げることに繋がるなら何でもやった。
「新しい企画」や「サービスリリース」といったクリエイティブな仕事とは逆の、地味で目立たない作業ばかりだった。気づけば自慢のパワーポイントも一切作らなくなっていた。
最初のうちは「悔しさ」が原動力だった。でも、いつしか新しい仕事に取り組むことそのものが楽しくなっていった。
「悔しさをバネにする」とよく言うけれど、このときの僕は「悔しさをスペースシャトルにする」ことができていたように思う。
スペースシャトルは、本体よりも大きな燃料タンクとブースターを使って打ち上げられるけれど、宇宙に飛び出す過程でそのどちらも切り離されて本体だけが飛んでいく。
同じように悔しさも、それまでの自分を抜け出すために必要なものだが、いつまでも持っているものではなく、新しい自分になるときには切り離されるべきものだからだ。
小さなプライドを捨て、より大きな目的や、大きな使命感みたいなものを持つことで、本当の意味で飛び立つことができる。この経験から学んだのは、そんな気づきだった。
そんな働き方を半年ほど続けた頃、彼はあらためて僕をプロジェクトマネージャーに任命した。その後、2年間ほど同じ部門で共に働き、数々の新サービスの立ち上げを成功に導くことができた。
部門を離れた今でも、当時プロジェクトマネージャーをクビになって、本当に良かったと思っている。あの時の経験が、今でも僕の原動力になっているからだ。
直接の上司ではなくなったけれど、業務上の大きな判断をするときには、ときどき顔を出して、相談に乗ってもらうことにしている。
彼は今も「ちゃんと“仕事”していますか?」と僕に訊いてくる。ただ、その表情は数年前のあのときとは比べものにならないくらい、穏やかだ。
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