風呂の会話と百人一首と娘と僕

子どもと育っていく
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「みちがわかれているとさ、べつべつのほうにいくよね」

と一緒にお風呂に入っているときに娘(5)が言った。

「お、何の話?」

「おともだちとさ、あるいてて、みちがわかれていると、じぶんはまっすぐいくのに、おともだちはべつのほうにいくよね」

「ああ、幼稚園の帰り道とかかな」

「そうそう」

「そうだね、お家が違うからね」

「でも、○○くん(マンションが同じ子)はさいごまでいっしょだよね」

「そうだね、でも最後は別のお家に帰るよね。でもどうする。最後まで一緒だったら。『ただいまー』って帰って来ちゃったりして」

「こわいね」

「そうだね、出会って、どこかで分かれるからいいんだよね。分かれて、そしてまた会うと。ずっと一緒よりもその方がいいね」

この歌を思い出した。

これやこの 行くも帰るも 別れては
知るも知らぬも あふ坂(逢坂・大阪)の関

-百人一首・蟬丸「後撰集」

「いろいろなところにいきたいな」

「君はまだこの先70~80年は生きるんだからどこだって行けるよ」

「パパだってまだどこだっていけるでしょ、ひいおばあちゃんだってちょっとまえにハワイにいったし、おばあちゃんだってディズニーランドいったし」

「そうだね、まだまだどこにでも行けるよね」

「ひいおばあちゃんはいまはびょういんにはいってるけど、あれはびょういんじゃなくておうちなんだよね」

「そうだよ」

「パパがおじいさんになってくるまいすになったら、おしてあげるひとになりたいな」

「そう、ありがとう」

この子ともいつか別れの時が来るけれど、その先の未来でまた会いたいななんて想像する。

この歌を思い出した。

瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
われても末に あはむとぞ思ふ

-百人一首・崇徳院「詞花集」

娘との会話は楽しいし、ときにハッとする。

 

それでは、また。

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