人間であるために自分の限界を可視化する -「山月記」 (中島敦) 要約と感想

正しく生きる方法
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sangetsuki

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ブログはある意味こわい趣味

ブログってある意味こわい趣味なんですよね。自分の知能指数がはっきりしてしまうから。

どんな文章を書けるのか、どんなことを考えているのか、どんな本を読んで、どんな映画を観て、どんな感想を持ったのか。脳みそのレベルをわりと全部バレちゃう感じになります。

その一方で、自分の思うままの情報発信ができるし、周囲の人に自分を理解してもらえる機会を持てるし、的を射たアドバイスをもらうことができるし・・と羞恥心の代わりに得るものは大きいんですよね。だからブログはやめられないんですよね〜。

・・という話を、同じ会社の人に話したところ、「なるほど~『山月記』ってことですね」と言われました。

「そうなんですよ~(^0^)・・ってすみません。『山月記』ってどんな話でしたっけ」(おい)

ということでちゃんと読んでみることにしました。

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「山月記」を読んでみた(要約と感想)

「山月記」は青空文庫などで無料で読むことが出来ます。古い漢字や表現がありますが概ね理解できると思います。また、とても短い作品なので早い人ならば10分程度で読めてしまいます。未読の方はぜひ。

話を要約するとこんな感じです。

中国・唐の時代、頭脳明晰な李徴(りちょう)という役人がいた。自尊心が強く、自分の身分に満足できなかった彼は、詩人として大成するべく仕事をやめて詩作にふけるも失敗し、また下級の役人に舞い戻る。かつてバカにしていた同期が出世している中、深く傷つく日々を送っていたある日、彼は突然発狂し山に消え行方不明となった。

あくる年、かつての友人・袁傪(えんさん)が山道を通っていると虎に襲われそうになる。虎はすんでのところで攻撃をやめると、茂みに隠れたまますすり泣く。「自分は李徴だ。気づいたら虎になっていた」と語る。徐々に人間の意識に戻る時間が短くなっている彼は、自分の詩作を聞いて書き残してほしいと告げる。袁傪は願いを聞き入れ、部下に詩を書きとらせた。

李徴が読み上げた三十編ほどの詩はなるほど才能にあふれた素晴らしい作品だったが、一流と呼ぶには何かが足りないと思った。さらに李徴は即興で、山と月に向かって吠える日々を嘆く詩を歌いあげる。袁傪と部下は深く同情する。

李徴は語る。こんなことになったのは、自分のプライドの高さ、それも臆病なプライド、羞恥心ゆえのことだ。偉大な詩人になろうと思いながらも、先生に教えを乞うことも、詩人仲間と切磋琢磨することもなく、かといって普通の人生を受け入れることもできなかった。すべては「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」が原因だ。「人は誰もが猛獣使い、その猛獣を飼い馴らすのが人のあり方だ」と聞いたことがあるが、自分は「尊大な羞恥心」という猛獣を使いこなすことができず虎になった。

彼は妻子に「自分は死んだ」と伝えてくれと言いながら、この家族についての依頼よりも先に、詩作の書き留めを依頼した自分のあさましさをもまた自嘲する。また帰りは同じ道を通らないこと、しばらく進んだ丘の上で振り返って最期の自分の姿を見てほしいと告げる。袁傪は約束通り、少し先の丘の上に立って振り返る。茂みから一匹の虎が躍り出ると、2~3回吠え、また茂みへと消えて行った。

そうだそうだ、こんな話でしたね。昔、教科書かなにかで読んだことがありました。その時は「ふーん、プライド高いと大変ね、それにしても虎にならんでもww」くらいにしか思ってませんでした。

大人になって自分自身もいろいろな人生の局面を超えてきて、また多くの他の人の人生も見てきたうえで、あらためて読むとまた感想が変わってきます。プライドや羞恥心といったものは、大人になってもなくなることはなく、もしかしたらかえって強まる部分もあるのではと思うからです。

日々、それを戦い続ける必要があるという点で「猛獣」とはよく言ったものだと思います。「山月記」このタイミングで読んで、良かったと思いました。

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人間であるために自分の限界を可視化する

「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」は同じコインの裏表です。「自分は優れている」という思い込みを守りたいという気持ち(臆病な自尊心)が強くなればなるほど、それを否定されたくないという気持ち(尊大な羞恥心)が強くなっていきます。同じコインの裏表ということは、同時に解決できるというコトでもあります。

「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」は訓練で飼い馴らすことができます。やり方は単純で、常に自尊心を傷つけることと、常に羞恥心を感じる環境に自分の身を置くことです。具体的には、日々自分が「限界だー」と思えることに挑戦することだと思います。

「えーやだー。それができないから困ってるんでしょう」という人も多いと思いますが、そんなに難しいことでもありません。というか、簡単なことから始めてみれば大丈夫です。内容は何でもいいんです。「もうこれ以上無理」というまで走ってみるのでもいいですし、苦手な相手にあえて話しかけてみるのでもいいですし、言ったことのないセリフを言ってみるでもいいと思います。

常に自分の限界点、自分がそれくらいのものでしかないという自覚を体感することで、「自分はいまこれくらいの力しかない、能力しかない、でも逆を言えばこれだけのことはできる、だからここから頑張る」という気持ちになれ、正しい現在地と、未来に対しての姿勢を正すことができると思います。

僕にとってはブログもそうですし、日々の仕事も、人との関わり方もそうですが、とにかく自分を可視化し続けることを限界まで毎日取り組んでいます。「どこまで自分の考え、思いを、正確に伝えきることができるか」に常に挑戦し、常に限界に到達し、自分の現時点での力を思い知るとともに、自分が少しずつでも力をつけていることを実感することで、明日を生きる勇気を得ています。

自尊心が傷つくことや、羞恥心を感じるようなことって、黙っていても人生では起こってしまうものです。ならば、自ら自尊心を傷つける、羞恥心を感じるような行動を取り続けることで、自分の成長につながる機会にしてしまった方がいいんじゃないかと思います。

・・という話を、虎になる前の李徴と話してみたかったな。なーんて思ってみたり。

 

それでは、また。

 

 

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