今さらながらMr.Childrenの「innocent world」が名曲すぎる

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いつまでも心に残る歌詞

誰にでもずっと心に残り続けている歌詞ってあると思います。
心に残り続けている理由はいろいろで、すごい共感したからという場合もあるでしょうし、逆にいまいち意味を汲み取りきれなくてモヤモヤ残り続ける歌詞というものもあります。

僕にとって、Mr.Childrenの「innocent world(イノセントワールド)」は後者のモヤモヤの方にあたります。モヤモヤしている具体的な箇所はこのくだりです。

近頃じゃ夕食の話題でさえ仕事に汚染(よご)されていて
様々な角度から物事を見ていたら自分を見失ってた
入り組んでる関係の中でいつも帳尻合わせるけど

-「innocent world(イノセントワールド)」 (Mr.Children) より

大ヒット曲なんで口ずさんだことがある人も多いと思います。
日々に追われている自分をふと客観視して途方にくれるシーン。楽曲全体としては「それでも前を向く」的な缶コーヒーのRootsのCM的な曲で、いい曲ですが、どうもこの部分の歌詞の違和感があった、そしてだいぶ時間が経って、なぜか今日ふとシャワーを浴びながら少し整理ができたので、それを書いてみます。

今までこの歌詞に抱いていた感情

違和感その1

入り組んでいる関係の中で帳尻を合わせることを「そんなことばっかりやっちゃってるけど」的に表現していますが、それって普通に誰もがすべきことなのでは?という違和感がありました。

違和感その2

夕食の話題が仕事の内容になることを「汚染」と表現していますが、それって潔癖症過ぎないかい。どんだけオンオフを分けて考えようとしてるのよ。これも普通のことでしょ。という違和感もありました。

少し納得

でも、たしかに様々な角度から物事を見ていると自分を見失っちゃうことってたしかにあるよねーとも思いました。

今日少し整理がついたこと

仮説

もしかして自分を見失わないように、帳尻を合わせていけばいいのでは?と思いました。

仮説の補足

つまり、生活の中のいろいろな要素の帳尻合わせをするにしても、仕事と家庭がないまぜになっていくとしても、常に自分の指針みたなものを持ってそれを行えばなんら問題ないのではないか、と思いました。

もう少し補足

逆に言えば指針がない場合に、帳尻合わせは本当にただ帳尻を合わせているだけになってしまうし、仕事と家庭の境界線も無意味に曖昧になっていってしまう、ということが起こるのではないか。それならたしかに辛いよね。とも思いました。

なぜそんなことを思いついたか

なぜそんなことを考えたかといえば、最近、仕事も家庭も個人活動も全部が有機的に関連づいてきて、相乗効果的に上手く行き始めている気がしていて、毎日がとても楽しいです。

そんな日々を送っていたところで、シャワーを浴びていたら、ふとミスチルの「イノセントワールド」が頭を流れて行って、あの歌詞ってもしかして・・こういうことで違和感感じてたんじゃないの!?と思って整理してみました。

状況だけとらえれば、この歌の歌詞の通りの毎日です。仕事と家庭がときどき乗り入れ合っているし、毎日、仕事のタスクやら家庭の家事育児やら、個人活動のやりたいことやらが細々とっちらかってるものを1つ1つなんとかやっているような状況ですし、ある時は周囲の期待を超えながら、またある時は周囲の期待に応えられずにご迷惑をおかけしているわけですが、それがなぜがとっても心地よい。この歌詞の主人公のテンションとは明らかに違うわけです。

自分とこの歌詞の主人公で何が違うのかを考えたときに、結局、自分の人生に対して主体的に取り組めているかどうかの違いなんじゃないかと思ったわけです。

主体的に人生をコントロールするためのもっとも重要なことは、「人生の目的」を定義しておくことだと「7つの週間」にも書いてあります。

それがあるかないかの違いじゃないかと。そう思ったのです。

桜井和寿さんは何を思ってこの歌詞を書いただろう。今はどんな気持ちでこの歌詞を見返すだろう、なんてことを想像してみたり。

なんだかあまりまとまりがないけれど、とりいそぎ。

それでは、また。

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